御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

きいじんじゃ

紀伊神社の編集履歴
2024年04月11日(木)
神奈川県 早川駅

サンダーさんのプロフィール画像
サンダー
2024年04月11日 08時10分

ご由緒

早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。
なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。

編集前:早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。
なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。

行事

1月1日 元旦祭(がんたんさい)
2月17日 祈年祭(きねんさい) [春祭り(はるまつり)]
4月23日 例大祭(れいたいさい)
6月16日 惟喬祭(これたかさい)
11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
12月31日 大祓い(おおはらい)

編集前:1月1日 元旦祭(がんたんさい)
2月17日 祈年祭(きねんさい) [春祭り(はるまつり)]
4月23日 例大祭(れいたいさい)
6月16日 惟喬祭(これたかさい)
11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
12月31日 大祓い(おおはらい)

Wikipedia

4594676

ログインすると情報を追加/編集できます。