すずかみょうじんしゃ
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楽しみ方鈴鹿明神社のお参りの記録(10回目)
投稿日:2025年05月18日(日) 19時51分04秒
参拝:2025年4月吉日
鈴鹿明神社は座間郷の総鎮守になります。
欽明天皇の御代、伊勢国鈴鹿明神の神輿が海上を渡御されていた折、にわかの嵐にあい流れ流れて、当時入海だった当地に漂着し里人が祀ったのが始まりといいます。
この漂着した神輿の中には、宝剣や宝玉その他いろいろな宝物が納めてありました。
そのころ、座間七ヶ村の1つ、勝坂というところに住んでいた「有鹿」という蛇身の神が、鈴鹿の宝玉を盗ろうと思い鈴鹿の森に絡まり機会を狙っていました。
鈴鹿の社内にいた諏訪明神と弁財天がこれを追い出し、南の谷の深(やのふけ)という所で、三神がそれぞれ大蛇の姿となって戦いました。有鹿神は敵わなくなり、相模川に逃げのび海老名に上がってそこに留まりました。村人は有鹿大明神として勧請し、海老名総鎮守としました。
これまで寒川神社に関連する寺社を巡ってきましたが、寒川神社を深堀りするうえで、有鹿神社は外せないと聞きました。あれ?じゃあその有鹿神社と関わっている鈴鹿さんも重要なんじゃ…と。
このお話は結構前から知っていたのですが、知識が増えた今、改めて見ると気になる所が多すぎます(いい意味で)
少しずつ紐解いて行けたらいいな…
(参考)
・座間古説
欽明天皇の御代、伊勢国鈴鹿明神の神輿が海上を渡御されていた折、にわかの嵐にあい流れ流れて、当時入海だった当地に漂着し里人が祀ったのが始まりといいます。
この漂着した神輿の中には、宝剣や宝玉その他いろいろな宝物が納めてありました。
そのころ、座間七ヶ村の1つ、勝坂というところに住んでいた「有鹿」という蛇身の神が、鈴鹿の宝玉を盗ろうと思い鈴鹿の森に絡まり機会を狙っていました。
鈴鹿の社内にいた諏訪明神と弁財天がこれを追い出し、南の谷の深(やのふけ)という所で、三神がそれぞれ大蛇の姿となって戦いました。有鹿神は敵わなくなり、相模川に逃げのび海老名に上がってそこに留まりました。村人は有鹿大明神として勧請し、海老名総鎮守としました。
これまで寒川神社に関連する寺社を巡ってきましたが、寒川神社を深堀りするうえで、有鹿神社は外せないと聞きました。あれ?じゃあその有鹿神社と関わっている鈴鹿さんも重要なんじゃ…と。
このお話は結構前から知っていたのですが、知識が増えた今、改めて見ると気になる所が多すぎます(いい意味で)
少しずつ紐解いて行けたらいいな…
(参考)
・座間古説
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく814投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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