ばんしょういん|曹洞宗|清瀧山
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万松院の編集履歴
2021年11月08日 01時34分
ふりがな
ばんしょういん
ご由緒
萬松院(ばんしょういん)は、文禄元(1592)年、徳川家康嫡男 松平信康を供養するために 小田原城主 大久保忠世により建立された寺院です。
茅葺きの庫裏(くり)は、寛政12(1800)年の建築であり、境内には松平信康ゆかりの文化財が多く伝えられています。
1567年5月、織田信長の娘・徳姫と松平信康(徳川信康)が結婚し、岡崎城で暮らすようになる、2人とも僅か9歳でした。
松平信康は7月に元服すると織田信長と、父・徳川家康から「信康」と名乗る。
1570年、松平信康が12歳のとき、正式に岡崎城主となる。
お互い21歳である1579年、徳姫は父・織田信長に、「十二ヶ条の訴状」を送った。
1579年8月3日、徳川家康は岡崎城を訪れると、翌日には松平信康は岡崎城から出て大浜城に移された、その後、遠江・堀江城、さらに二俣城へと移された。
松平信康は切腹の命を受けて1579年9月15日に死去、享年21歳。
ご祭神/ご本尊
聖観世音
見所
庫裏は茅葺屋根
山号
清瀧山
創立
1592年に大久保忠世が、松平信康の供養だけに建てた寺院です。
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