みやのうらぐう
宮浦宮のお参りの記録一覧
【大隅國 式内社巡り】
宮浦宮(みやうらぐう)は、鹿児島県霧島市福山町福山にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は神武天皇、天神七代12柱、地神五代5柱の計18柱。旧称は「宮浦大明神」。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「大隅國 囎唹郡 宮浦神社 小」に比定されている。江戸中期の1752年に京の吉田家に神位授与を願い出て、式内社であることを以って極位(正一位)の宗源宣旨と幣帛が下され、同時に桃園天皇からの勅許を下され、薩摩藩領内の神社では神階授与に際して勅許の下された唯一の神社として「宮浦大明神」と称された。1791年には桜島噴火の大火により社殿を焼失したが、薩摩藩主・島津斉宣により再興されている。明治に入り近代社格制度のもと県社に列したが、1877年の西南戦争で被災している。
当社は、JR日豊本線・国分駅の南東10kmほどの、錦江湾沿いに伸びる国道220号線から少し入った傾斜地にある。防波堤までは数十mで、入口は海抜0m、社殿周りはほんの数mの高さの場所にある。境内はそこそこ広く、草木が少なくて明るい。やや小さめの社殿とその周りにいくつかの境内社があるのみのシンプルな造り。社殿の両側にある2本の巨木が古社らしさを感じさせてくれる。
今回は、大隅國の式内社、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元風の若い女性たちが参拝に訪れていた。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。社号標がとっても低いのが特徴。
鳥居をくぐって階段を登る。
まず階段右側に1つ建っている境内社。
少し先にある、左側の<門守社>。
右側の<門守社>。
階段を登り切ったところからの景色。鳥居の向こうに見えるのは<錦江湾>で、その左手に見えるのが<桜島>。(o^―^o)
階段を登り切ったところのすぐ右側にある<手水舎>。
階段を登り切ったところから社殿方向を望む。社殿の両側に聳え立つ巨大な<夫婦銀杏>がスゴイ!
推定樹齢は1200年とのこと。(;゚Д゚)
<拝殿>全景。コンパクトなサイズに大きな向拝。
<拝殿>正面。よく見ると真新しくてモダンな造り。上部には「正一位 宮浦神社」の扁額。
拝殿の右側にある境内社。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿と統一感がある造り。説明板によると2009年に改築造営されたとのこと。
拝殿の左側にある境内社。
最後に<社殿>全景。モダンな木造の神明造で、古社としてもなかなか良い雰囲気。(^▽^)/
宮浦宮(みやうらぐう)
旧社格:県社
御祭神:神武天皇、天神七代、地神五代
延喜式内社
御朱印はあります。
頂きませんでしたが、宮司さんの連絡先が貼られていて
連絡すれば頂けるようです。
鳥居。
鳥居右の県道を少し進むと左側に神社用駐車場があります。
二の鳥居。
手水舎。
神武天皇東征前の仮の宮だったそうです。
境内には大きなイチョウが2本あります。
此方のイチョウには西南戦争時の砲弾の痕が見られるそうですが、
よくわかりませんでした。
御社殿。
大隅国曽於郡の式内社「宮浦神社」です。神武天皇さまに関する故事が残るほどの古社ですが、近くの桜島の噴火で被災し何度も再建されているそうです。地図上じゃまぁまぁ離れてるんですが…さすが活火山代表ですわ。
《鳥居と社号碑》
《表参道》
《手水舎》
《拝殿と夫婦銀杏》
☆チェックポイント!!
この拝殿の両側の夫婦銀杏は神武天皇さまが旅立つ前に植えていったものを後世に植え継いだとされています。木は違えどその土地に残る一つの「歴史」として今なおあるわけですね。
《授与品》
拝殿内部に設置されてます。御朱印が切れていたので神主さんにお電話したんですが、外出してるとのことでいただけませんでした。
《社務所》
《本殿》
かつてはこの神社、というか氏子間には御祭神が嫌うことということで麻と芋の栽培、1/25の祭典以前の機織、灸治療が禁止されていたそうです。
のちに不便ということで廃止されましたが、下手すりゃサツマイモが…
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