わけじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
和気神社ではいただけません
広告
和気神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月18日(金)
参拝:2016年8月吉日
過去(2016年<平成28年>)参拝分のものになります。
先の霧島神宮の参拝を終えて、同じ鹿児島県内にある和気神社へやってきました。
大きなイノシシが描かれた絵馬がひときわ目を引きます。
ご祭神として、和気清麻呂(わけのきよまろ)公をお祀りしています。
神号は護王大明神とされ、護王神社と称する神社は狛猪が配置され、これに因んだものと思われます。
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて国の官僚として活躍した人物です。
岡山県に和気の地名が存在していますが、この場所は和気清麻呂の生誕地です。
時は奈良時代の769年、称徳天皇の時代に宇佐八幡宮神託事件が起こります。
別名道鏡事件とも呼ばれるこの事件は、一僧侶でありながら朝廷に仕え、大きな権力を持つ道鏡という僧が天皇の地位を得ようと企てた事件です。
769年5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宜阿曾麻呂が、宇佐八幡のお告げであるとして「道鏡を次の天皇にすれば国が穏やかに治まる」ということを称徳天皇に申し出ました。
称徳天皇はこの神託を確認するため、尼僧である法均(和気広虫)を宇佐八幡宮へ遣わせるつもりでしたが、虚弱な法均に長旅は堪えられないと判断し、弟である和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わしました。
道鏡は和気清麻呂が都を発つときに「自分のために計らえば高い官位を与える」といろいろな手段を用いて味方にしようとしましたが、和気清麻呂はあくまで忠義の心が深かったといいます。
出世のために志を軽々しく動かすような人ではありませんでした。
宇佐から帰った和気清麻呂は、当初の神託と正反対のお告げを持ち帰りました。
それを称徳天皇に申し出たところ、道鏡を次の天皇にしたかった自身の思いと異なることに激怒し、和気清麻呂の名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名させたうえ、大隅国に身柄を流しました。
道鏡もこの神託に怒りをあらわにしましたが、それだけにとどまらず、和気清麻呂が大隅国へ流される途中、自らの使者を派遣して和気清麻呂の命を狙いました。
しかし、突然現れた白い猪の群れに和気清麻呂は助けられ、大隅国に無事流れ着きました。
770年8月に称徳天皇が崩御して後ろ楯を無くした道鏡は失脚しました。
道鏡は下野国の薬師寺へ左遷(配流)されています。
770年9月に和気清麻呂は大隅国から呼び戻されて入京を許されました。
こうして宇佐八幡宮神託事件は決着を迎えました。
宇佐八幡宮神託事件だけではなく、悪事を企てる最近の出来事諸々、いろいろ考えさせられます。
いつの時代も悪い奴が必ず存在しますが、私利私欲に溺れる者がいたり、平気で人を殺める者がいたり、そんな人間は和気神社の御神徳に「人格形成」「精神健全」というのがあるので、あやかってもらいたいものです。
ひょっとしたら、今の総理大臣も… という声が上がってくるかもしれません。
参拝した当時は、イノシシの絵が下書きの状態だったようで、今は着色されて綺麗に出来上がっているようです。
御朱印も拝受しました。
先の霧島神宮の参拝を終えて、同じ鹿児島県内にある和気神社へやってきました。
大きなイノシシが描かれた絵馬がひときわ目を引きます。
ご祭神として、和気清麻呂(わけのきよまろ)公をお祀りしています。
神号は護王大明神とされ、護王神社と称する神社は狛猪が配置され、これに因んだものと思われます。
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて国の官僚として活躍した人物です。
岡山県に和気の地名が存在していますが、この場所は和気清麻呂の生誕地です。
時は奈良時代の769年、称徳天皇の時代に宇佐八幡宮神託事件が起こります。
別名道鏡事件とも呼ばれるこの事件は、一僧侶でありながら朝廷に仕え、大きな権力を持つ道鏡という僧が天皇の地位を得ようと企てた事件です。
769年5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宜阿曾麻呂が、宇佐八幡のお告げであるとして「道鏡を次の天皇にすれば国が穏やかに治まる」ということを称徳天皇に申し出ました。
称徳天皇はこの神託を確認するため、尼僧である法均(和気広虫)を宇佐八幡宮へ遣わせるつもりでしたが、虚弱な法均に長旅は堪えられないと判断し、弟である和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わしました。
道鏡は和気清麻呂が都を発つときに「自分のために計らえば高い官位を与える」といろいろな手段を用いて味方にしようとしましたが、和気清麻呂はあくまで忠義の心が深かったといいます。
出世のために志を軽々しく動かすような人ではありませんでした。
宇佐から帰った和気清麻呂は、当初の神託と正反対のお告げを持ち帰りました。
それを称徳天皇に申し出たところ、道鏡を次の天皇にしたかった自身の思いと異なることに激怒し、和気清麻呂の名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名させたうえ、大隅国に身柄を流しました。
道鏡もこの神託に怒りをあらわにしましたが、それだけにとどまらず、和気清麻呂が大隅国へ流される途中、自らの使者を派遣して和気清麻呂の命を狙いました。
しかし、突然現れた白い猪の群れに和気清麻呂は助けられ、大隅国に無事流れ着きました。
770年8月に称徳天皇が崩御して後ろ楯を無くした道鏡は失脚しました。
道鏡は下野国の薬師寺へ左遷(配流)されています。
770年9月に和気清麻呂は大隅国から呼び戻されて入京を許されました。
こうして宇佐八幡宮神託事件は決着を迎えました。
宇佐八幡宮神託事件だけではなく、悪事を企てる最近の出来事諸々、いろいろ考えさせられます。
いつの時代も悪い奴が必ず存在しますが、私利私欲に溺れる者がいたり、平気で人を殺める者がいたり、そんな人間は和気神社の御神徳に「人格形成」「精神健全」というのがあるので、あやかってもらいたいものです。
ひょっとしたら、今の総理大臣も… という声が上がってくるかもしれません。
参拝した当時は、イノシシの絵が下書きの状態だったようで、今は着色されて綺麗に出来上がっているようです。
御朱印も拝受しました。
大きなイノシシの絵が描かれている日本一の絵馬
(縦8.3m×横12.5m)
(縦8.3m×横12.5m)
和気公園の藤に関する説明書き
和気神社の由緒書き
社殿風景
和気の清麻呂公がイノシシに助けられたということに因み、狛犬ではなく狛猪が鎮座している。
和気の清麻呂公がイノシシに助けられたということに因み、狛犬ではなく狛猪が鎮座している。
坂本龍馬夫妻の新婚旅行記念碑
(日本で初めて新婚旅行をしたと言われる新婚旅行の先駆者として知られている夫婦)
(日本で初めて新婚旅行をしたと言われる新婚旅行の先駆者として知られている夫婦)
手水舎とその奥にある社殿
鳥居を含めた神社の様子
神社入り口付近と巨大絵馬
入口付近はたくさんの木が生い茂る
御朱印をいただきました
すてき
投稿者のプロフィール
神社猫52投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。