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和気神社ではいただけません
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和気神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月10日(金)
参拝:2023年1月吉日
【大隅國 古社巡り】
和氣神社(わけ~)は、鹿児島県霧島市牧園町宿窪田にある神社。旧社格は県社(※)。祭神は和気清麻呂公命。
祭神の和気清麻呂は奈良時代の769年、宇佐八幡宮神託事件に関連して大隅国に遠島となり、その後名誉回復されて京へ戻っている。江戸時代末期の1853年、鹿児島藩11代藩主・島津斉彬が日向國・大隅國視察の際に当地に松を手植えし、側近の八田知紀に命じて和気公の追跡調査をしたところ、当地が和気公の配流地であると確定した。1942年に県社として和氣神社の設立許可が下りたが、太平洋戦争の終戦を越え、1946年に創建された。
当社は、JR肥薩線・嘉例川駅の東方5km、道のり8kmの山あいにある。現在は霧島市立和気公園の一部になっているが、もともとはすべて当社の境内だったのかな。近隣の住宅があるエリアから見ると、なだらかで草木が少なめの小高い場所に鎮座している。当社では和気公の使いが<猪>であったことから、最近まで実際に猪を飼育していたり、日本一の巨大な絵馬に和気公と猪を描いたり、狛犬の代わりに狛猪だったりと、何かと<猪>推しなのが特徴。もう一つの推しが、「坂本龍馬の新婚旅行の地」とのこと。旧県社格だけあって、境内は広く、社殿も大きく立派で、十分な格式を感じられる。
今回は、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、山あいの不便な立地にもかかわらず、入れ代わり立ち代わりで常に参拝者が訪れていた。
※設立許可時の昭和戦前1942年は県社。ただし、竣工が戦後の1946年にずれ込んでいる。
境内東南端入口全景。境内は背の高い古木で覆われている。
境内入口の右側にある巨大な絵馬。縱8.3m、横12.5mあり、2007年(平成19年)の亥年に製作された。和気清麻呂公とイノシシが描かれているが、イノシシは、和気公を危機から救い大隅國まで導いたと伝わる。
境内入口の<鳥居>。
鳥居をくぐると、参道右手にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道左側にある<和気ちゃん>の建物。白いイノシシが飼育されていたが、数年前に亡くなっている。
参道左側の<手水舎>。
参道途中から<社殿>を望む。社殿は一段高いところにある。
拝殿前左側の、とっても珍しい<狛猪>。
拝殿前左側の<狛猪>。当社では徹底した<イノシシ推し>。(o^―^o)
<拝殿>全景。両側に翼殿を持つ立派なもの。
<拝殿>正面。扁額などはない。
<拝殿>内部。
拝殿から振り返って境内全景。人里離れた場所にあるが、絶えず参拝者が訪れていた。
参道右側、社務所の隣にある絵馬掛けゾーン。「坂本龍馬とお龍の新婚旅行の地」の看板があるが、1866年に坂本龍馬が当地を訪問したとされ、その時の和歌が記載されている。
その前にポツンと立っている昭和の赤い郵便ポストも良い感じ~♪ (o^―^o)
その前にポツンと立っている昭和の赤い郵便ポストも良い感じ~♪ (o^―^o)
鳥居の前に大きな石碑が3つほど立っているので見て廻る。
こちらは<照國公(斉彬公)手植松之記>と記された石碑。
こちらは<照國公(斉彬公)手植松之記>と記された石碑。
こちらは<忠烈和気公之遺跡>。もともとこの碑の傍に、1853年に斉彬公お手植えの松があったが枯れ、その後1937年に孫の島津忠重侯爵がお手植えした楠の木が立っている。
こちらは<義人稲積翁之碑>。稲積翁は、里民に伝わる和気公伝説に出てくる義人。
最後に<社殿>全景。ほどよく森に包まれてた大きく立派な社殿。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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