はこざきはちまんじんじゃ
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楽しみ方箱崎八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月31日(土) 23時28分26秒
参拝:2026年1月吉日
鹿児島県の北、出水市に鎮座する箱﨑八幡神社。
越冬のため鶴が渡来してくることで有名な地です。
たまたまネットでこの地域に神社を見ていて、神門前に大きな2羽の鶴の像がお出迎えしてくれる写真を見て、ぜひ自分の目で見てみたいと思い参拝させていただきました。
実はこちらの神社、鶴が目玉ではなくて、日本一の大鈴があることで有名です。
高さ4m、直径3.4m、重さ5tというとんでもない大きな青銅製の鈴が神門に下げられています。
「成せば成(鳴)る、大願成就の大鈴」ということで、この大鈴を拝みに行くだけでもご利益がありそうです。
さらに境内には鈴の形をした宝物鈴殿がありました。
思わずそちらに気を取られてしまい、拝殿での参拝前に吸い寄せられるように宝物鈴殿へ。
中に入ると「日本一小さい鈴」も展示されていました。
拡大鏡がないと、ただの小さな点にしか見せません😅
金色の大鈴に、御朱印帳も金色、そして鶴もいる。
こちらの境内にいるだけでも幸運が舞い降りてきそうでした。
<御祭神>
應神天皇 神功皇后 武内宿禰
箱﨑八幡神社と聞いて最初に頭に浮かんだのは福岡の「筥崎宮」。
昨年末に筥崎宮も参拝したかったのですが、時間の都合上断念していたので、なおさら「箱﨑」という名前に惹かれたのかな?と思っていたのですが。。。
御祭神も應神天皇、神功皇后ということで関係があるのかな?と思っていたら、やはり筥崎宮の御分霊を勧請したのが始まりとのことでした。
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
島津家始祖忠久公が初めて鎌倉より山門院野田へ下向の途、筑前博多の沖で逆風に遭い、まさに難破しそうになり、筥崎宮に請願して難を免れ、無事山門院荘之浦に着船できたので、当社を勧請したと伝えられる。
最初の勧請地野田より米之津名護浦、次に沖田(今和泉六月田)、更に現在地には文明の頃薩州家二代島津国久公が遷したという。
又一説には、弘安四年の元寇の時、本家島津氏の命で薩州家三代島津久経公は箱崎の津に出陣し、筥崎宮に参拝して一心に異賊討滅を祈願され、殊勲をたてられた。よって八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し、薩州出水郷(当社)と隅州吉松郷の二ヶ所に勧請して国境の守護神として厚く崇敬されたとも伝えられる。
永禄六年薩州家六代義虎公が再興したが、豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった時、当社と別当寺の成願寺も破壊され、慶長四年義弘公の朝鮮の役の功により出水が復されると、十八代藩主家久公が別当寺とともに再興した。昭和九年までは例祭の浜下りに、前の鎮座地名護浦まで神輿と甲冑の武者行列があった。明治十五年、氏子相計り義金を以て社殿が造営された。その後、明治・大正・昭和の約百年を経て再び改築の期を迎え、昭和五十五年、氏子有志の募金により新社殿が、また、昭和天皇御在位六十年奉祝事業として、平成元年十二月に社務所及び参集殿が、伊勢神宮御鎮座二千年、さらに今上陛下御在位十年の奉祝記念事業として、平成十年秋に日本一の八幡大鈴(直径三・四m、高さ四m、重量五千kg)を吊る神門が、氏子崇敬者の奉賛金により竣功された。さらには、敬宮愛子内親王殿下ご誕生記念事業として、平成十五年一月には当社に伝わる三十六歌仙と神楽面が拝観できる宝物鈴殿が造営された。
越冬のため鶴が渡来してくることで有名な地です。
たまたまネットでこの地域に神社を見ていて、神門前に大きな2羽の鶴の像がお出迎えしてくれる写真を見て、ぜひ自分の目で見てみたいと思い参拝させていただきました。
実はこちらの神社、鶴が目玉ではなくて、日本一の大鈴があることで有名です。
高さ4m、直径3.4m、重さ5tというとんでもない大きな青銅製の鈴が神門に下げられています。
「成せば成(鳴)る、大願成就の大鈴」ということで、この大鈴を拝みに行くだけでもご利益がありそうです。
さらに境内には鈴の形をした宝物鈴殿がありました。
思わずそちらに気を取られてしまい、拝殿での参拝前に吸い寄せられるように宝物鈴殿へ。
中に入ると「日本一小さい鈴」も展示されていました。
拡大鏡がないと、ただの小さな点にしか見せません😅
金色の大鈴に、御朱印帳も金色、そして鶴もいる。
こちらの境内にいるだけでも幸運が舞い降りてきそうでした。
<御祭神>
應神天皇 神功皇后 武内宿禰
箱﨑八幡神社と聞いて最初に頭に浮かんだのは福岡の「筥崎宮」。
昨年末に筥崎宮も参拝したかったのですが、時間の都合上断念していたので、なおさら「箱﨑」という名前に惹かれたのかな?と思っていたのですが。。。
御祭神も應神天皇、神功皇后ということで関係があるのかな?と思っていたら、やはり筥崎宮の御分霊を勧請したのが始まりとのことでした。
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
島津家始祖忠久公が初めて鎌倉より山門院野田へ下向の途、筑前博多の沖で逆風に遭い、まさに難破しそうになり、筥崎宮に請願して難を免れ、無事山門院荘之浦に着船できたので、当社を勧請したと伝えられる。
最初の勧請地野田より米之津名護浦、次に沖田(今和泉六月田)、更に現在地には文明の頃薩州家二代島津国久公が遷したという。
又一説には、弘安四年の元寇の時、本家島津氏の命で薩州家三代島津久経公は箱崎の津に出陣し、筥崎宮に参拝して一心に異賊討滅を祈願され、殊勲をたてられた。よって八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し、薩州出水郷(当社)と隅州吉松郷の二ヶ所に勧請して国境の守護神として厚く崇敬されたとも伝えられる。
永禄六年薩州家六代義虎公が再興したが、豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった時、当社と別当寺の成願寺も破壊され、慶長四年義弘公の朝鮮の役の功により出水が復されると、十八代藩主家久公が別当寺とともに再興した。昭和九年までは例祭の浜下りに、前の鎮座地名護浦まで神輿と甲冑の武者行列があった。明治十五年、氏子相計り義金を以て社殿が造営された。その後、明治・大正・昭和の約百年を経て再び改築の期を迎え、昭和五十五年、氏子有志の募金により新社殿が、また、昭和天皇御在位六十年奉祝事業として、平成元年十二月に社務所及び参集殿が、伊勢神宮御鎮座二千年、さらに今上陛下御在位十年の奉祝記念事業として、平成十年秋に日本一の八幡大鈴(直径三・四m、高さ四m、重量五千kg)を吊る神門が、氏子崇敬者の奉賛金により竣功された。さらには、敬宮愛子内親王殿下ご誕生記念事業として、平成十五年一月には当社に伝わる三十六歌仙と神楽面が拝観できる宝物鈴殿が造営された。


一の鳥居
鈴のモニュメントがありますが、これは日本一の大鈴じゃないですよ
鈴のモニュメントがありますが、これは日本一の大鈴じゃないですよ

鳥居横には鶴
これ、意外と大きいです
これ、意外と大きいです

二の鳥居

神門前の大きな鶴
人の背丈の倍くらいありました。
こんな鶴がもし実際にいたら、ちょっと怖い・・・😅
人の背丈の倍くらいありました。
こんな鶴がもし実際にいたら、ちょっと怖い・・・😅

神門

こちらが日本一の大鈴です
重さ5t! 落ちてきたら大変です
重さ5t! 落ちてきたら大変です


拝殿




本殿横から神様のすぐ近くで参拝できる
「袖拝み所」
「袖拝み所」


箱﨑稲荷神社

宝物鈴殿

宝物鈴殿の中です

日本一小さな鈴

鶴を抱きかかえて、すごく優しいお顔をされています

撫鶴

こちらは亀ですね

撫陰陽石
すてき
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