いたてつわものぬしじんじゃ
射楯兵主神社のお参りの記録一覧
海沿いの神社⛩️は初めてで感激です。海🌊や砂浜の美しさに癒されました。釜蓋を頭に乗せてお参りには笑い🤭ました。
近くのいせえび荘さんに宿泊しましたが、評判以上の料理を堪能させて頂きました。😋
大きな赤い鳥居をくぐって海岸沿いを歩いて行くと 一際目立つ神社が見えて来る⛩️
遠くからでも 大きな釜蓋が見える‼️
この釜蓋を頭に乗せて 落とさずに10mほど歩いて石段を登り お参りができたら願いが叶うと言われてて オリンピック選手とか挑戦しに来るらしい🏅
私も挑戦してみたが 頭に乗せるのがやっとでした😂
拝殿の天井には巨大な龍の絵があり 実際見てるとただの絵なのに 写真に撮ると 玉が光って見えるではありませんか🔆‼️‼️
不思議だなぁ〜🙄
スマホの待ち受けにするとご利益があるらしい🤭
神社の左側の小さな鳥居を抜けて小道を行くと「希望の岬」へ🌊
大海原が広がり 薩摩富士と呼ばれる開聞岳が見えて まさしく絶景‼️‼️💕
本当にお天気が良くてよかった😍
社務所で書置きのご朱印をいただきました🙏
キレイな海岸沿いにある🌊⛩️
赤い鳥居⛩️
ここから海岸沿いに歩いて行く🌊
扁額も潮風で年季が入っている
ずっとずっと歩いて行くと
立派な神社が見えてくる⛩️
遠くからも見える釜蓋‼️
手水舎
釜蓋が並んでます
これを頭に乗せて歩いてお参りすると願いが叶うらしい😅
外人さんもいっぱい
拝殿天井の巨大な龍の絵🐲
写真に撮ると玉が光って見えます🔆
希望の岬の入口と 神社の改築記念碑🪨
ここからも開聞岳がキレイに見えてます💕
ここから希望の岬へ⛩️
海岸の歌碑
社務所
射楯兵主神社(いたてつわものぬし神社)
【釜蓋神社】
御祭神 素盞鳴命
宇気母知命
創建年 不詳
通称 釜蓋大明神
釜蓋神社
御由緒
創建年代不詳。
文政年度(1818〜1829年)より800年前に建立されたと云われています。
寛文7年(1667年)島津光久公の『頴娃郷神佛誌』に度々、補修の事が記されています。 享保元年(1716年)に社殿が炎上するものの、翌年11月25日に再建。
その時の棟札には「開聞宮末社釜蓋大明神」と記されているそうです。
現在の建物は、平成7年(1995年)11月に氏子の浄財により再建されました。
釜蓋神社の起源
天智天皇と妃が臣下の住まいがある頴娃(えい 頴娃町)の御領を訪れるということで、準備のために何十石という米を炊き始めました。
すると、にわかに暗雲がたちこめ、すさまじい風が釜の蓋を吹き飛ばしてしまいました。 吹き飛ばされた釜蓋は、遠く離れた大川の海岸に落下。 土地の人々はこの釜蓋を拾い上げ、「釜蓋大明神」と名づけ神様として祀りました。 これが釜蓋神社のはじまりと云われています。
ユニークな参拝方法と、プロやトップアスリートも参拝に訪れると話題の、勝負・武運の神様を祭り、特に勝負ごとにご利益がある神社として知られています。
鹿児島県南九州市頴娃町別府6827
釜蓋神社管理運営委員会
0993-38-2127
私は全くダメダメ😢
【薩摩國 人気神社巡り】
射楯兵主神社(いたて・つわものぬし~)は、鹿児島県南九州市頴娃町別府にある神社。旧社格は無社格。祭神は素戔嗚命、宇気母知命。別名「釜蓋神社(かまふた~)」、「釜蓋大明神」。
伝承によると頴娃に住む臣下を訪れた天智天皇の接待のために米を炊いていると、突如起こった突風で釜蓋が遠く離れた当地まで吹き飛び、里人がこれを祀ったのが始まりとされる。実際の創建は不詳だが、文政期(1818年~1830年)から800年前の創建と言われ、少なくとも江戸時代前期の1667年、薩摩藩2代藩主・島津光久のころの『頴娃郷神仏誌』に当社の修補に関する記載がある。1716年には社殿が火災で焼失するが、翌1717年には再建しており、棟札には「開聞宮末社釜蓋大明神」と記されている。1843年には第10代藩主・島津斉興が国家鎮護・武運長久の祈願を行っている。なお、当社は釜蓋を頭上に載せて参拝する「釜蓋願掛け」や素焼きの釜蓋を投げる「釜蓋投げ」で知られ、近年では勝負事に強い神社としての評判が広まり、サッカーの元日本代表の澤穂希が祈願に訪れたり、中村俊輔がお守りを身に付けたことでパワースポットとして有名になった。
当社は、JR指宿枕崎線・頴娃大川駅の南方1kmの、入江の岩礁の突端にある。小さな島のような形状で中央に社殿、その裏手は小さな林になっていて、海側は「希望の岬」と名付けられていて、大海原と開聞岳を望むことができる。釜蓋の縁起、有名人の参拝と合わせ、観光地的要素も充実しており、休日レジャーの目的地としても良さそう。
今回は、旅行情報サイト「じゃらん」、「ぐるたび」、「4travel」で人気寺社仏閣ランキングの上位にランクインしていることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分たち以外にも何組もの参拝者が訪れていた。
※「射楯兵主神社」という社名の神社は全国で2社あり、当社と兵庫県姫路市のものがあるが、読み方が異なる。当社は「いたて・つわものぬし~」、兵庫県姫路市の神社は「いたて・ひょうず~」と読む。
※当社の駐車場は複数あるがいずれも小さく、境内から距離が離れている。近い駐車場から埋まって行くものの、回転も速いので、満車の際そこで待つか諦めて遠くに行くかの判断がポイント。運の問題だけど...(^_^;
境内北端入口の<一の鳥居>。社号標や扁額はないが、鳥居の額束の部分に社名が書かれている。
海沿いの、きれいに舗装された参道を進んで行く。
<境内>全景。かわいらしいサイズの一つの島が神社になっている。
社殿へのスロープを登って行くと<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐって、右手にある<手水舎>。
<拝殿>全景。朱色が鮮やか。手前右側には<巨大釜蓋>がある。
<拝殿>正面。入口部分が鳥居のようになっているのが面白い。
<拝殿>内部。入口上部に社号の扁額。建物内が拝所になっている。
拝殿内から見た<本殿>。
拝殿を出て、社殿の右手、手水舎の後ろにある<社務所>。
御朱印はこちらではなく、拝殿内の右手のテーブル上に書置きのものが置いてある。
拝殿後ろの<本殿>。朱色の躯体も鮮やかだが、ミントグリーンの屋根もビビッド。
拝殿の右手にある<寿石>。石を撫でて祈願する。良縁、子宝、安産の御利益。
社殿の左手に面白い形の鳥居があるので、その先に進んでみる。
通路を進んで行くと、右側に<本殿>が見える。
通路はこんな感じ。しはらく林の中を進む。
通路の先には、<希望の岬・展望所>。釜蓋の屋根が面白い。
南側の眺め。
南側に立っている<歌碑>。
西側に見える<希望の岬>の突端。海がきれい。
最後に、東側に見える<開聞岳>。ここから13kmほど離れたところにある。
さすが「薩摩富士」と呼ばれるだけあって、均整の取れた美しいプロポーション。(^▽^)/
射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)
通称:釜蓋神社
枚聞神社・境外末社
御祭神:素盞鳴命、宇気母知命
開聞岳の麓で生まれ、宮中に入るも戻ってきた大宮姫を慕い、
天智天皇が追って来られたという伝説があります。
そこでお二人が頴娃村の御領に住んでいた安東実重中将を尋ねます。
中将が接待のため何十石という米を蒸しているとき突風が吹き、
釜蓋が吹き飛ばされ、飛んで行った釜蓋が落ちた土地の人々が、
この釜蓋を拾い、竃蓋大明神と名付けて奉ったそうです。
国道には案内板があるので場所はわかりやすいです。
神社が見えてきました。
こちらは元々あった跡だそうです。
御社殿。
御本殿。
こちらでは拝殿のところにある木製の釜蓋を頭に載せ、
手を使わず鳥居から歩ききると願いが叶うと大人気。
海に面していて風があるのでなかなか難しいかも・・・
この日も県外からミニ観光バスの団体さんもいらっしゃいました。
観光地のような雰囲気で個人的には少々苦手です(苦笑)
神社左手から海岸へ行けます。
ベンチも釜蓋・・・
遠くに開聞岳が見えるいい景色です。
御朱印は書置きで裏が全面シールのようになっています。
糊付けする手間を省くためにこのようにされているみたいですが、
失敗せずにうまく貼れるかなぁ・・・
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