ひらききじんじゃ
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枚聞神社ではいただけません
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枚聞神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月24日(金)
参拝:2023年1月吉日
【薩摩國 式内社巡り】
枚聞神社(ひらきき~)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社。式内社で薩摩國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は大日孁貴命(おおひるめのむち:天照大御神)、配祀神は五男三女神。
創建は不詳。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根差した神社であったと考えられている。社伝によると、飛鳥時代の708年の創建。当初は開聞岳の南麓に鎮座していたと言われるが、貞観年間(859年~877年)の噴火により別地に避難、その後北麓の現在地に遷座されたとされる。国史の初見は『日本三代実録』860年条で神階奉授、866年条、882年条で神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「薩摩国 頴娃郡 枚聞神社 小」に比定されている。鎌倉時代以降は新田神社(薩摩川内市)との間で薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げた。戦国時代には島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、江戸時代になると島津氏が崇敬し1610年に島津義弘が社殿を寄進、1787年に島津重豪がこれを改築している。明治時代に入り近代社格制度のもと国幣小社に列格した。
当社は、JR指宿枕崎線・開聞駅の北東600mの、県道28号線沿いの郊外、平地にある。神体山である開聞岳のちょうど北側にあって、境内北側にある入口から参道を進むと、勅使殿(普通の神社の拝殿)の背後に開聞岳が見えるというドラマティックな配置になっている。境内の広さは広大だが、参拝エリアは一宮としてはコンパクト。ただし社殿の配置が特異で、参道の突き当りが勅使殿、その両側に長庁という横長の建物があって、勅使殿の後方に拝殿と本殿がある造りで独特な雰囲気がある。
今回は、薩摩國の式内社、薩摩國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、早い時間だったにもかかわらず自分たち以外にも気合の入った参拝者が何組も訪れていた。
境内北端入口全景。写真右端は県道28号線の枚聞神社前交差点。
神橋を渡って<一の鳥居>。
参道を進んで<二の鳥居>周辺全景。右手の巨木が古社であることを証明してくれる。
<二の鳥居>とその両側の<門守神社>。
二の鳥居前、左手にある<手水舎>。
二の鳥居をくぐって参道を進むと、参道右側にある<宝物殿>。
宝物殿には国指定の重要文化財である<松梅蒔絵櫛笥>が収められている。松と梅の蒔絵で飾られた女性用の化粧用具箱。
当社では「竜宮伝説の玉手箱」として紹介している。(写真は説明看板を撮ったもの)
当社では「竜宮伝説の玉手箱」として紹介している。(写真は説明看板を撮ったもの)
参道上の宝物殿近くから見た<社殿>全景。他の神社と大きく異なる点としては、中央に<勅使殿>があり、その両側に<長庁>建っていること。もう一つは、勅使殿の背後に、神体山である<開聞岳>が見えること。
開聞岳は写真のような、独特で綺麗な形をしているのが特徴。
当社に向かう途中、車の助手席から撮影。(運転中に撮ったわけではありません)...(^_^;)
当社に向かう途中、車の助手席から撮影。(運転中に撮ったわけではありません)...(^_^;)
こちらが<勅使殿>。
<勅使殿>内部。奉納酒樽が並ぶ。床も天井も、彫刻も彩色もとにかく美しい。
右側の<長庁>。左右ともに授与所になっている。御朱印帳は左側の長庁にて領布している。
勅使殿の後ろの<拝殿>。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿の右外側にある境内社。
<社殿>全景。
社殿の左手にある<祈願者控所>。
長庁前に戻って、こちらは<神馬>。
勅使殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所前から<社殿>方向を望む。やはり社殿前に勅使殿と長庁が一列に並んで建っているのが壮観。
最後に<勅使殿>と<開聞岳>。神聖な雰囲気と相俟って、神様に近づけたような、深く心が洗われる感覚にすっかり浸ってしまった。
空気感がとにかく素晴らしい神社。(^▽^)/
空気感がとにかく素晴らしい神社。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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