かんえいじんじゃ
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冠纓神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月28日(月)
参拝:2024年10月吉日
香川県の神社巡り続きです。かんえい神社と読みます。
駐車場に車を停めると すぐ左手に何やら建物がありました。
境内社ではなく 遊衣館といいます。
豊玉毘売命(海の神である大綿津見神の娘)が瀬戸内海で舟遊びをした折 古川上流へ上り始めて船を降りお鎮めした館だそうです。
田んぼの中の参道を進むと 立派な一の鳥居と二の鳥居があり 神門をくぐるとなかなか広い境内です。
境内社が多く 龍王神社(小堂)と安倍晴明神社(祠)は中でも立派です。
他にも 白鳥神社(祠)・祖霊社(祠)・忠魂社(祠)・厳島神社(祠)・招魂社などがあります。
主祭神は帯中津日子・命品陀和気命・息長帯比売命です。
歴史については
861年(貞観3年) 讃岐巡礼中の円珍が井原庄に着いた時 鳩峰大自在王菩薩が現われて井原庄を鎮護すると云った。
このため円珍はこの地の里人の力を借りて 宝蔵寺を建てた。
1357年 細川頼之が厚く保護・尊崇し京都石清水八幡宮の冠纓を奉納した。
このことから冠尾(かむりお、またはかむろ)八幡宮と呼ばれるようになり 後に冠纓神社となる。
現在も地元の人は「かむろ」と呼んでいる。
以後も細川氏による信仰・保護を受け 細川氏が衰えた後も由佐氏がこれを引き継いだ。
後に讃岐国を支配した生駒親正や松平頼重も社領の寄進をするなど当社を保護している。
とありました。
神社本庁との関係があまり良くないとの記載がありました。
んーーー残念です。
駐車場に車を停めると すぐ左手に何やら建物がありました。
境内社ではなく 遊衣館といいます。
豊玉毘売命(海の神である大綿津見神の娘)が瀬戸内海で舟遊びをした折 古川上流へ上り始めて船を降りお鎮めした館だそうです。
田んぼの中の参道を進むと 立派な一の鳥居と二の鳥居があり 神門をくぐるとなかなか広い境内です。
境内社が多く 龍王神社(小堂)と安倍晴明神社(祠)は中でも立派です。
他にも 白鳥神社(祠)・祖霊社(祠)・忠魂社(祠)・厳島神社(祠)・招魂社などがあります。
主祭神は帯中津日子・命品陀和気命・息長帯比売命です。
歴史については
861年(貞観3年) 讃岐巡礼中の円珍が井原庄に着いた時 鳩峰大自在王菩薩が現われて井原庄を鎮護すると云った。
このため円珍はこの地の里人の力を借りて 宝蔵寺を建てた。
1357年 細川頼之が厚く保護・尊崇し京都石清水八幡宮の冠纓を奉納した。
このことから冠尾(かむりお、またはかむろ)八幡宮と呼ばれるようになり 後に冠纓神社となる。
現在も地元の人は「かむろ」と呼んでいる。
以後も細川氏による信仰・保護を受け 細川氏が衰えた後も由佐氏がこれを引き継いだ。
後に讃岐国を支配した生駒親正や松平頼重も社領の寄進をするなど当社を保護している。
とありました。
神社本庁との関係があまり良くないとの記載がありました。
んーーー残念です。
駐車場に建物あり
神社発祥の聖地とありました
由緒もありました
参道は田んぼの中
一の鳥居と灯篭
一の鳥居の先に二の鳥居も見えます
二の鳥居
神門
由緒書
手水舎
けっこう古い狛犬
運気上昇の桃
拝殿
内陣
清澄の鐘
カマキリが睨みを効かせていました
龍王神社
縁結びの神です
願い石・叶い石
拝殿
内陣
縁結び祈願の女石と男石
安倍晴明神社
祠
わからんかった
これもわからんかった
本殿
御力巡りの入口 本殿と拝殿との間の通路を巡る
何やら石碑
厳島神社
祠
記念碑
白鳥神社
忠魂社 戦没者を祀る祠
招魂社
祖霊社
水神社
かむたま龍樟樹:樹齢約800年の神木
社務所
すてき
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