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鎮座する多度津町の鎮守神として崇敬される八幡さんです。第14代仲哀天皇さまの妃である神功皇后さまが三韓征伐の帰途の際に波風を避けてこの地に上陸され、神功皇后さまが長鉤と旗竿を現地の人たちに与え、従者にこの地に留まって祭祀を行うよう命じます。その際の長鉤(熊手)と旗竿を御神体として祀ったのが当社とされています。

《鳥居と社号碑》
心なしか少し横に広いです。

《随身門》

《手水舎》
水は枯れています。洗ひつるここも…(略)

《拝殿》🙏
当社は香川における大英雄である弘法大師空海さんの母君が安産祈願をした神社であるとされています。空海さん自身も当社を産土神として社殿を造営し、明治まで他八幡宮と同じく神仏習合の寺社として崇敬されていました。

《絵馬掛け》

《神輿置き?》

《絵馬堂》

《末社①》
左側がお稲荷さんです。伝承では空海さんが狐を追い出したため四国はたぬき大国になったと言われていますが、空海さんの仏教始まりの地である善通寺には大きめのお稲荷さんが鎮座しています。

《末社②》
小さな祠たちと若宮神社です。

《末社③》
八坂神社と石碑です。

《本殿》
👁チェックポイント‼️
空海さんが建てたお寺として最も有名なものはみなさんご存知和歌山県の高野山金剛峯寺です。その鎮守神の一社とされる丹生酒殿神社の境内社には御神木に鎌を刺して祈願を行った信仰の遺る鎌八幡宮がありますが、こちらの八幡宮の元宮が当社であるとされています。空海さんは生前に八幡大神(ここでは八幡大菩薩)さまに対面し、奥の院で入定したあとは当社から御神体である熊手と旗竿が高野山まで飛んだ行ったと伝承されています。現在も兄井の鎌八幡宮には飛んでいった熊手が短くなって納められているそうです。

《末社④》
高良神社です。

《末社⑤》
元祭神社です。神功皇后さまの従者が祀っていたのはこちらで現在も後裔の渡辺一族が祭日に集まるとあります。こちらの神主さんは現在田窪さんですがこの方は子孫になるのでしょうか?

《末社⑥》
突き当たりに石神社、左手に愛宕神社があります。

【お大師さん誕生地巡り①】
屏風浦海岸寺で開かれるマルシェに参加することになり、海岸寺はお大師さん誕生地といわれておりますので、縁の寺社を回ってみました
近くですので2時間程で5箇所行けました
⛩️「熊手八幡宮」は多度津の産土神であり、お大師さんの母玉依御前(阿古屋)が子宝授与を願い、懐妊なされたそうです
立派な御神殿とその周りに無数に並べられている古い祠は圧巻で、永い歴史を持つシャーマニックな特別な場所であることがわかります

道路沿いにすぐ鳥居
道の向かい側に駐車場があります


古そうな狛犬

🐵猿っぽいです

随神門

『指定有形文化財
熊手八幡宮高麗犬(こまいぬ)
昭和五十一年三月三十一日指定
熊手八幡宮は、往古から多度津郷の総鎮守として崇められている古社である。
室町時代中期の戦国の世である文明十三(一四八一)年
に社殿が改築されたと伝えられている。
そのとき、木造彩色の高麗犬が奉納され随身門に安置されたと考えられる。
高麗犬は一方は口を開け、一方は口を閉めた阿吽形の対で上体をまっすぐに起こして蹲踞し、顔をわずかに内へ向けている。
面長の顔容は独特な面相で地元名工の作と思われる貴重なものである。
平成二十年三月三十一日
多度津町教育委員会』

随神門の中
中央が木造彩色の高麗犬のようです

手水舎と大楠

『熊手八幡宮は、大師ご誕生よりさかのぼること四百年、神功皇后が三韓征伐の帰途、風浪の難を避けて上陸されたという伝承に因む古社です。皇后は長鉤(熊手)と旗竿を土地の者に与えて、従者の渡辺一族の遠祖にこの地に留まって祭祀するよう申し付けました。』
屏風浦海岸寺HPより
御神体の熊手はかなり長いらしく、収納に困ったエピソードもあるらしいです😅

小顔でワイルドな狛犬くんです✨

こちらはよく見ると出っ歯の狛犬くんです✨✨


拝殿内部

御神殿
『弘法大師は生前、八幡大菩薩とご対面され、お互いの姿を写し合ったとする伝承があります。八幡神は、「わたしとあなたはもと同一体であり、上人の居る所へは必ず影と形のごとく追い随うつもりである」と申されました。
かくて、大師が高野山の奥の院にてご入定になられますと、白方の八幡神は生前の約束を果たそうと、ご神体である熊手と旗竿を白龍と化し、高野山へ向けて飛ばしました。海上を越え、紀ノ川をさかのぼり、高野山の管内である伊都郡兄井村の松樹に掛かったご神体は、遠く葛城の峰まで光を放っていたそうです。』
屏風浦海岸寺HPより

拝殿右手に祠群がありました


『元祭(もとまつり)神社
御祭神 天御中主大神(天御中主尊)
御由来
古来、多度津町青木本村の渡辺一族が遠つ神祖として貴び祭る。
古より渡辺一族の伝承によれば、神功皇后二年春二月皇后(息長帯比売命) が新羅征伐から大和への帰途、この地に風浪の難を避けた。一族の遠祖は皇后の扈従していたが、命によりこの地にとどまり祖神を敬まって祠を立てたと伝う。 今に毎年九月十五日、神社の大前に一族相い集い、恐れみ祀る。
昭和六十三年戊辰歲九月吉日
渡邊陽行謹記』

天御中主大神をお祀りする元祭神社



御神殿の後ろにもお社や祠がズラリと並んでいました
境内・文化財
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