うのはじんじゃ
鵜羽神社のお参りの記録一覧
【新川豊玉姫命レイライン番外編・豊玉姫命と天津神】
子どもが砂を採りたいというので屋島の浦生海岸へ行きましたので、「鵜羽神社」へお参りさせていただきました
というか、お呼びいただいたような気がします…
最近少彦名命が気になり、必然的に大国主命のことも調べるようになったのですが、どうやら豊玉姫命と繋がる可能性があるのでは⭐
秋晴れの浦生海岸
豊玉姫命の本拠地、男木島、女木島が見えます
屋島(八尋島)の南嶺、北嶺の谷の麓に御座います
弘法大師空海も「鵜羽神社」に参拝してから屋島に登ったのだとか
何故か参道、鳥居のド真ん中に重機が…
手水舎の横に川が造られていますが、海水を引いていてアオサがあったり
今日は潮が満ちてきたのか、バシャンバシャンと生き物がいるような大きな音がしてビビりました💦
ここから新川を鰐船で遡上した豊玉姫命一族のお社
両側に船がご奉納されています
向かって右に手漕ぎ船?
南方系です…!
左に帆船(これが限界でした💦)
御本殿南にお社
今回は末社の御祭神を調べました
向かって右はおそらく「天照皇大神宮社」(天照大御神)
他、船玉神社(猿田彦命)、木野山神社(大山祇神)、弁天社(市杵島姫)、地神社だそうですがどれがそうなのかはわかりませんでした
こちらは豊玉姫命が出産、産後を過ごした場所なのですが、天照大御神や猿田彦命…と天孫族や市杵島姫の名前が連なっているのを知ると、確かに鵜葺草葺不合命は初代天皇の父だからとはいえ、豊玉姫命が居辛くなって故郷へ帰った、または新天地を求めた気持ちがわかるような…
豊玉姫命は一旦男木島へ帰り、今度は新たなパートナーとともに新川から内陸へ進み、国造りに関わっていったのでは…
そんなことを思いついたのでした
御本殿北に地神社と2つの祠
三菱っぽいマークといい、海関係の装飾から、こちらが弁天社かなと推測します
【新川豊玉姫命レイライン⑧】
豊玉姫命伝説瀬戸内説をたどる旅です。
男木島から山幸彦命を追って屋島の浦生(うろ)へやって来た身重の豊玉姫命
ご出産時、鵜の羽で屋根を葺くのが間に合わなかった(そもそも、何で鵜の羽根なんでしょうか😊)ことから、『鵜草葺不合命』と名付けられた御神子ご生誕地を訪れました
⛩️「鵜羽神社」は屋島北嶺の西南の海岸近くに御座います
屋島の双嶺の谷に背を向け、小槌島・五色台方向に向って建てられています
八尋島の南北から集まり、海と溶け合ったなんとも清々しく和やかな氣の中、大好きな方の赤ちゃんを産んで育てられていた豊玉姫命👶💗👩
私も3人、出産・子育てを経験いたしましたが、濃密な幸せの時間を思い出させていただきました🙏✨
浦生海岸
豊島、男木島、女木島、小槌島と豊玉姫命伝説の島々が一望
写真より目で見ると、お天気のせいか非常に近く感じられました
タイやフグが泳いでいました
『補生 【うろURO】
浦生の地名は海運物資が集まる室(むろ)から派生したともいわれ, 海辺にある鵜羽(うのは)神社には豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト) が 鶴草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を出産した地であるとの伝説が 残されています。 神社の付近は古代の製塩遺跡で、山手には屋島の北嶺と 南嶺を隔てる大谷があります。そこでは日本書紀で天智六年(667)の条に 記された屋城の遺構を見ることができます。
大谷は「鑑真ヶ谷」あるいは「弘法谷」とも呼ばれ、 屋島寺にゆかりのある 高僧が瀬戸内の海路からこの場所に降り立ち、山頂へ登ったという伝承が 残されています。 高松市』
屋島北嶺(左側)と南嶺(右側)の間の大谷
弘法大師もこの谷から登山されたのだそうです
木があるのでずらして撮影しましたが、間に小槌島、五色台が見えます
まーるい狛犬さん
大獅子の獅子頭を連想させる団子鼻
手水舎
産湯説もある手水石
そもそも水を流す装置がありませんし、屋根の華やかで賑やかな飾り瓦が赤子をあやすおもちゃのようです
北側
牡丹と菊
南側
獅子と菊
手水舎の横のお宮
珍しいステンレス製鳥居
魚と五角形
龍宮城??
境内を流れる川
海水なので、アオサがいっぱいです
拝殿装飾と注連縄(男木島の神社と似ている)
龍神雲
扁額は「鵜羽宮」
拝殿から海の眺め
御本殿
拝殿共に木鼻が象なのが印象に残りました
大きな井戸がありました
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