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氷上神社の御朱印・御朱印帳
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お参りしてきました🙇啄木の詩の石碑がありました。気仙三十三観音の31番氷上本地堂があります。狛犬さんも、凛々しくもあり、微笑んでもいました🙆
由緒ある神社さんです。
凛々しいお顔です
笑ってます
氷上山上に、西宮・理訓許段神社、中宮・登奈孝志神社、東宮・衣太手神社の
3社が鎮座しており、当社は里宮にあたる。
古来は、山麓に3社が別に存在していたらしいが、
中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。
寛延3年(1750)、会津宗英寺住職が、
山上に金剛仏三体を奉納しようとしたが、
八合目付近で、急に山が荒れだし、慌てて下山。
その後、7日間、平地は晴天なのに、山だけ大嵐となり、
これを「氷上山大騒擾」という。
山へは一度も仏像を上げたことがないという理由で、
奉納しようとしていた仏像は取り上げになり、平常に戻った。
文徳実録によると、祭神三柱の中で、
登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下の神位であり、
また、中宮に登奈孝志神が祀られているので、3社の中心は登奈孝志神であろう。
とにかく、祭神3柱とも、本来は土地神・地方神であったのではないかと思われる。
社名は、冰上、氷上とも書く場合がある。
「氷上神社由緒」には、以下のように記述されている。
古記で知る。氷上山は御山と稱へ山名を稱へず。
気仙郡に官を置くに當り始めて気仙山と名づく。
後氷上山と改む。
暁光七彩の雲間より旭日昇天を拝しての尊稱か、
郷民の太陽信仰の名稱か。
又往古より山頂野火多く三社附近で自然に消滅す。
火伏の神徳を垂れ給ふものとして
日神 火の神 音相通ずるものとして氷上と呼稱せらると。
社殿や賽銭箱に菊紋がついていたが、神紋かどうかは不明。
参道の御假殿は、昭和48年山頂に神殿を新築した際に、
文化5年の旧神殿を移したもの。
氷上山上に、西宮・理訓許段神社、中宮・登奈孝志神社、東宮・衣太手神社の
3社が鎮座しており、当社は里宮にあたる。
古来は、山麓に3社が別に存在していたらしいが、
中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。
寛延3年(1750)、会津宗英寺住職が、
山上に金剛仏三体を奉納しようとしたが、
八合目付近で、急に山が荒れだし、慌てて下山。
その後、7日間、平地は晴天なのに、山だけ大嵐となり、
これを「氷上山大騒擾」という。
山へは一度も仏像を上げたことがないという理由で、
奉納しようとしていた仏像は取り上げになり、平常に戻った。
文徳実録によると、祭神三柱の中で、
登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下の神位であり、
また、中宮に登奈孝志神が祀られているので、3社の中心は登奈孝志神であろう。
とにかく、祭神3柱とも、本来は土地神・地方神であったのではないかと思われる。
社名は、冰上、氷上とも書く場合がある。
「氷上神社由緒」には、以下のように記述されている。
古記で知る。氷上山は御山と稱へ山名を稱へず。
気仙郡に官を置くに當り始めて気仙山と名づく。
後氷上山と改む。
暁光七彩の雲間より旭日昇天を拝しての尊稱か、
郷民の太陽信仰の名稱か。
又往古より山頂野火多く三社附近で自然に消滅す。
火伏の神徳を垂れ給ふものとして
日神 火の神 音相通ずるものとして氷上と呼稱せらると。
社殿や賽銭箱に菊紋がついていたが、神紋かどうかは不明。
参道の御假殿は、昭和48年山頂に神殿を新築した際に、
文化5年の旧神殿を移したもの。
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