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氣多大社ではいただけません
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氣多大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年07月06日(月)
参拝:2020年3月吉日
奈良に都があった時代から北陸の大社として朝廷からの尊崇も厚く、文献に最初に登場するのは、大伴家持が能登を巡行したときに「之乎路(しをぢ)から直超え(ただこえ)来れば羽咋(はくい)の海 朝凪ぎ(あさなぎ)したり船楫(かぢ)もがも」と詠んだ歌が収められた「万葉集」というほどの格式をもつ「気多大社」。能登国となってからも歴代の領主からの手厚い保護により社領の寄進や社殿の造営などがなされました。
その中でも、加賀藩が保護した社叢には奥宮があり、普段は宮司以外は立ち入り禁止とされ、奥宮での神事がある際に神官が森の中に入るときには目かくしをして通行しなければらないといわれ、「入らずの森」として聖域となっています。
※「斧入らぬみやしろの森」とは。
昭和58年5月、昭和天皇が行幸された際にこの「入らずの森」にお踏み入りになり『斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり』と御製をお詠みなられました。
現在では、気多大社の名から「氣」が多く集まる神社と言われており、また、気多大社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社では大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)といわれる縁結びの神様であることから、縁結びスポットとしても有名となっており、全国から多くの人が訪れる場所となっています。
その中でも、加賀藩が保護した社叢には奥宮があり、普段は宮司以外は立ち入り禁止とされ、奥宮での神事がある際に神官が森の中に入るときには目かくしをして通行しなければらないといわれ、「入らずの森」として聖域となっています。
※「斧入らぬみやしろの森」とは。
昭和58年5月、昭和天皇が行幸された際にこの「入らずの森」にお踏み入りになり『斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり』と御製をお詠みなられました。
現在では、気多大社の名から「氣」が多く集まる神社と言われており、また、気多大社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社では大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)といわれる縁結びの神様であることから、縁結びスポットとしても有名となっており、全国から多くの人が訪れる場所となっています。
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