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賀茂神社ではいただけません
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かもじんじゃ

賀茂神社
石川県 横山駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

鳥居左に30台ほどの無料駐車場あり

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神祇伯
神祇伯
2022年04月04日(月)
1406投稿

加賀国加賀郡の式内社です。奈良時代に京都の賀茂神社から北陸鎮守のために遷座され、第五十代平城天皇さまの勅願所として隆盛します。その後も越前国から加賀国が独立したときも、能登・越中国へ向かう道行きの神様として崇敬されていました。

賀茂神社の鳥居

《鳥居と社号碑》
左手に広い駐車場を持っています。

賀茂神社(石川県)

《表参道》
砂利道に灯籠が並んでいます。

賀茂神社の歴史

《由緒書き》
基本的には上記で述べた通りなのですが、一つ興味深い記述が。
創建について「京都の中賀茂の宮を北陸道の総鎮守として…」そして"勧請"ではなく"遷座"と書かれてあります。皆さんご存知の通り京都には上賀茂神社・下鴨神社しかありません。継体天皇十四年(520年)のときには3社目の賀茂神社があったのでしょうか…?
ちなみにいらっしゃった神主さんに聞いてみたのですが、若い方で宮司(当時留守)しか分からないとのこと。少し残念でしたが「また勉強しておきます!」と前向きな返答をいただきました👏

賀茂神社の建物その他

《平城天皇勅願所の碑》
平城天皇さまは桓武天皇さまの次代にあたりますが、病弱であったため3年で譲位してしまいます。平安京に移ってあまり経っていない時期ですし、その前から山城国の大社だった上下賀茂両社に並ぶ大社としてこの神社を見ていたのかもしれません。

賀茂神社(石川県)

《手水舎》
柄杓はなく、近づいたら水が出ます。

賀茂神社の本殿

《拝殿》🙏
とても広々として綺麗です。

賀茂神社の本殿

《拝殿内部》
奥の鴨居に「大宮」と書かれた亀の甲羅があります。

賀茂神社(石川県)

《祝詞殿》
御朱印を戴いたあとお酒を奉納したところ、神主さんの計らいで本殿前でお参りさせていただきました。その際にいくつか解説をいただきまして、祝詞殿と本殿は平成10年(1998年)に修繕されたそうです。20年経ってるとは思えないくらい綺麗でした。

賀茂神社の芸術

《祝詞殿天井の龍の絵》
👁チェックポイント‼️
この龍の絵は修繕時に奉納され、本来であれば本殿前に置かれる予定でしたがシンメトリーを守るために天井に埋め込まれる形で設置されました。お寺だと天井に龍の絵はたまに見ますが、神社だとここが初めてです。
また、龍の指が5本で描かれているのですが、5本指の龍は高い身分の方への象徴として描かれるんだそうです。

賀茂神社の建物その他

《社務所》
昇段参拝後に予約していた初宮祈願の方が来られて忙しく神社を後にしましたが、神主さんのこの上ないおもてなし、感動いたしました。ありがとうございます😭

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歴史

当社の史書に見ゆるは、敏達天皇2年圭田57束と奉り云々と見えたるを始めとし、天平勝宝5年加茂、大同元年鉢伏、同2年神託を蒙り現今の地に遷座、平城天皇の祈願所として6200歩余を寄せ給い、醍醐天皇の延喜5年360町歩の田地を賜り、十二坊三神主を附置かれたという。延喜の制、国幣の小社に列した名社。天正11年藩主前田利家公、羽柴秀吉の命を受け、山城国別雷賀茂神社に当庄十ヶ村を寄進せり。天正12年末森合戦の折に兵火に罹り、社殿始め古文書宝物その他を鳥有に帰す。万治元年本殿拝殿等を再建せりと、当時末社34社、正徳年中、藩主前田綱紀公境内地として一町二反十三歩を附置かれたり。明治5年郷社に列し、明治14年県社に列せられ、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定さられ、昭和6年北陸鎮座1400年祭を執り行いたりという

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賀茂神社の基本情報

住所石川県かほく市横山リ119-1
行き方
アクセスを詳しく見る
名称賀茂神社
読み方かもじんじゃ
通称大宮さん・加茂大宮
参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号076-285-0365
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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詳細情報

ご祭神《主》賀茂別雷神
《配》貴布禰神
《合》天照大神
創建時代敏達天皇二年(573年)
本殿権現造
ご由緒

当社の史書に見ゆるは、敏達天皇2年圭田57束と奉り云々と見えたるを始めとし、天平勝宝5年加茂、大同元年鉢伏、同2年神託を蒙り現今の地に遷座、平城天皇の祈願所として6200歩余を寄せ給い、醍醐天皇の延喜5年360町歩の田地を賜り、十二坊三神主を附置かれたという。延喜の制、国幣の小社に列した名社。天正11年藩主前田利家公、羽柴秀吉の命を受け、山城国別雷賀茂神社に当庄十ヶ村を寄進せり。天正12年末森合戦の折に兵火に罹り、社殿始め古文書宝物その他を鳥有に帰す。万治元年本殿拝殿等を再建せりと、当時末社34社、正徳年中、藩主前田綱紀公境内地として一町二反十三歩を附置かれたり。明治5年郷社に列し、明治14年県社に列せられ、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定さられ、昭和6年北陸鎮座1400年祭を執り行いたりという

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