ちょうしょうじ
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長勝寺ではいただけません
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長勝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月03日(土)
参拝:2024年5月吉日
山号は海雲山、寺号は長勝寺、宗旨 宗派は臨済宗 妙心寺派、ご本尊は釈迦如来、常陸七福神、福禄寿、長勝寺は江戸時代初期に既に衰退していた為、正確な由緒は伝わらず創建年等は詳細は不詳です。そこで、長勝寺に伝わる銅鐘(国指定重要文化財・土浦市の等覚寺と土浦市の般若寺と梵鐘と共に常陸三古鐘)が大きな意味を持ちます。長勝寺銅鐘には銘が刻まれており、これにより文治元年(1185)に右大将殿(源頼朝)の時代に長勝寺が開山した旨が判ります。又、この銅鐘は元徳2年(1330)に大檀那として相模禅定門崇鑑(鎌倉幕府第14代執権:北条高時)、大施主として下総五郎禅門道暁(下総地方の御家人:山川五郎入道光義)、住職として伝法沙門妙節、製作者として甲斐国(現在の山梨県)出身の権守助光、鐘銘並びに序文の作者は円覚清(鎌倉円覚寺16世清拙正澄大鑑禅師)、鎌倉殿(源頼朝)の追善供養として制作奉納された事が判ります。
元禄年間(1688~1704年)には水戸藩(藩庁:水戸城)2代藩主徳川光圀は荒廃した長勝寺を憂い太嶽和尚を招いて中興開山し堂宇などが再建されています。楼門・方丈・書院・玄関・隠寮・庫裡(茨城県指定重要文化財)などは元禄年間当時のものでその後は幕府から庇護され寺領10石の朱印状を賜り、寺運も隆盛しています。臨済宗妙心寺派の古刹として多くの寺宝を所有しており、境内も室町時代から江戸時代にかけて建てられた古建築で構成され当時の繁栄が感じ取れます
元禄年間(1688~1704年)には水戸藩(藩庁:水戸城)2代藩主徳川光圀は荒廃した長勝寺を憂い太嶽和尚を招いて中興開山し堂宇などが再建されています。楼門・方丈・書院・玄関・隠寮・庫裡(茨城県指定重要文化財)などは元禄年間当時のものでその後は幕府から庇護され寺領10石の朱印状を賜り、寺運も隆盛しています。臨済宗妙心寺派の古刹として多くの寺宝を所有しており、境内も室町時代から江戸時代にかけて建てられた古建築で構成され当時の繁栄が感じ取れます
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