みふだじんじゃ
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潮来市島須地区にある御礼(みふだ)神社にお詣りしてきました。
ホトカミに投稿する前は、鹿行地域にある無数の古城(南方三十三館といいます)を巡るのが好きで、近隣の城跡をよく訪れていました。グーグルマップで適当に当たりをつけていた御礼神社は、まさに、島崎城跡にありました。
参道前に駐車スペースが全く無いので、近くの田んぼ脇に車を停め歩いて向かいます。
おおっ!ここは島崎城跡なのか!以前から来たいと思っていたのでテンション上がります。
でも、参道が無い!多少のことでは驚かないのですが、参道が消滅してるのは初めてです。使い古しのスニーカーなのでこのまま進みます。
参道途中からは石段が残ってます。鳥居は、半壊してます。近年、地震やら台風やらいろいろあったので、そのせいでしょうか?
崩れた鳥居の石が脇に寄せてありました。地区の神社の役員が、恐らく運んだのでしょう。「せえのっ!よっ!」と一つ一つ運んだと思われます。ご苦労さまです。
古い石段を登ります。何かの本で読んだのですが、江戸時代初期までは、この地域では加工がし易い銚子の砂岩で仏像や敷石を作ったそうです。加工がし易い反面風化も早いのが欠点です。ここの石段もそんな感じの石で作られています。機会があれば銚子の石切場跡に行って確かめてみたいです。
つきました。
島崎城跡とあります。お殿様は桓武平氏の流れで行方氏です。
拝殿です。屋根が寄せ棟になっていて、お寺か?と思わせますが、神社です。
本殿です。
登りに島崎城の鳥瞰図が描かれていました。
境内社です。よく見ると雨どいの水が隣に集められてます。
雨水はここに集まります。
土塁を削って車が道が通れるようにした道があります。
いったん空濠の下に降りると隣の曲輪(くるわ)が見えます。ここ島崎城は、県北の佐竹氏の侵攻により戦国末期に廃城になりましたが、城跡の保存状態がよく、また、地域の方々の維持活動のおかげで現在でも当時の有り様がよくわかります。
城を攻める側からすると、槍も届かない矢を射るには角度があり過ぎるといういやらしい位置に上の曲輪があり、上から攻撃されたら防ぎようがないな~と思いました。城の本を読めば書いてある当たり前のことなのですが、その場に立って見るとそれを実感します。
さらに奥に続いていますが、お城の投稿になってしまうのでこのへんで終わりにします。
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