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逢善寺ではいただけません
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逢善寺のお参りの記録(1回目)
茨城県竜ケ崎駅

投稿日:2024年08月03日(土)
参拝:2024年5月吉日
山号は慈雲山、院号は無量寿院、寺号は逢善寺、宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は千手観世音菩薩(小野の観音)、ぼけ封じ関東三十三観音 第33三十三番札所、常陸国七福神 弁財天、平安時代の天長3年(828年)、最澄が天台宗を開いた翌年、最澄の弟子 逢善道人が小野村に千手観音を祀ったとのことです。初めは小堂でしたが、常陸国司小野篁が覚叡上人を招いて堂宇を建立し、正徳3年(1713年)には天台宗の関東八檀林の一つに定められ、僧侶養成のための学問所として栄えた。その間、逢善寺は2度の火災に遭い、現在の本堂は天保13年(1842年)に再建されたもの。仁王門は、明治2年(1869年)に東京麹町の日枝神社山門を移築したもので、太田道灌が文明年間(1469年-1487年)に建造したものと伝えられている。昭和56年から7年かけての修復工事が行われ、今に至っている。826年(天長3年) - 最澄の弟子の逢善道人により常陸国河内郡小野村(現・茨城県稲敷市小野)に千手観音を本尊として創建
1713年(正徳3年)- 天台宗学問所「関東八檀林」の一つに定められる
1842年(天保13年)- 本堂を再建
1868年(明治元年)- 東京 麹町の日枝神社の山門を移築したとのことです。
何でも、太田道灌が文明年間(1469~87)に
日枝神社に建立したもので 金剛力士像も
日枝神社から移されたもので、運慶の作と
いわれ、茨城県内で一番古いものだそうです
逢善寺(茨城県)
常陸七福神、弁財天
逢善寺(茨城県)
ぼけ封じ関東三十三観音 第33三十三番札所、
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)
逢善寺(茨城県)

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宮城県、石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日、旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、道の駅2週目と日本の歴史に関係が深い城、神社、仏閣、歴史的建造物を観て周ってます、寺社巡りは2022に秘湯を求めて巡って居る際、恐山に行った時住職の一言により発願、トレードマークは、サンダルで神社、神社 霊場巡り巡礼中、
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山形十三佛、出羽路十三佛、出羽の国十三佛、栃木十三佛、秩父十三佛、鎌倉十三佛、
七福神、 
奥州仙台七福神、山形七福神、八溝七福神、下野七福神、佐野七福神、足利七福神、上州七福神、館林七福神、常総七福神、奥久慈七福神、佐竹七福神、鎌倉七福神、
他、
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