ちょうぜんじ|臨済宗妙心寺派|大鹿山
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取手駅から歩いて行くと小高い丘があり、その周りを歩いて参拝しました。境内はとてもひっそりとしていたので参拝だけして、お寺を後にしました。蝋梅が咲き、花の香りも楽しめました。
🌼長禅寺(ちょうぜんじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は茨城県取手市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大鹿山。本尊は地蔵菩薩。平将門の創建と伝わっています。🌺本堂 は本尊の地蔵菩薩像を祀っており、三世堂(観音堂)- 栄螺堂様式の仏堂です。☘️ 宝暦13年(1763年)の建立し、快慶作と伝わる十一面観音と、西国・秩父・坂東の合わせて百観音を祀り、菊池幽芳は取手に住んでいたころ大鹿山栄螺堂に幾たびか登ったと自叙伝に記しています。🍒山門 は表参道の階段を登り切った上にある門で、19世紀初頭の建立。 重層四脚門で上層には梵鐘を吊り、屋根は入母屋造で茅葺であったのを銅板葺に改め二手先挿肘木で上層の縁を支え、軒は出三斗。他、新四国相馬霊場の札所など計8棟があります。🌼承平元年(931年)に平将門の勅願所として建立と伝わっています。🍁荒廃するが御厨三郎吉秀が守り本尊を密かに守り伝え、承久元年(1219年)に吉秀の子孫で大鹿城主の織部時平の命で義門和尚を開祖として再興しました。🌹文暦元年(1234年)に織部時平が十一面観音菩薩像を四間四面御堂に安置されました。💐慶安2年(1649年)に徳川家光から朱印状を賜り、5石3斗を拝領。
元禄9年(1696年)頃に現在地に移転しました。☘️宝暦13年(1763年)に三世堂建立(白嗣殿)し、寛政2年(1790年)の大風で三世堂が大破しました。享和元年(1801年)に三世堂を再建(観音堂)しました。
🍁所在地 : 茨城県取手市取手2丁目9-1
歴史
長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派の古刹で、京都の妙心寺の末寺です。本尊は延命地蔵尊です。
縁起によれば、朱雀天皇の代の承平元年(九三一)に、平将門が勅願所として創建したと伝えられます。将門没後は「御厨三郎吉秀」という人物が、密かに本尊を守り伝えてきたものの荒廃が甚だしかったと言われています。承久元年(一二一九)には義門和尚を開祖として再興が計られ、また「吉秀二十九代後胤織部時平」は、文暦元年(一二三四)に将門の守本尊で安阿弥(快慶)の作と伝えられる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立するとともに、寺の再興を計ったとも伝えられています。
創建当時は旧大鹿村(現在の白山地区、取手競輪場近く)にありましたが、江戸時代初めに水戸街道が整備されて取手宿が形成されると現在地へ移転しました。慶安二年(一六四九)に三代将軍徳川家光から朱印地五石三斗を賜って以来、代々の徳川将軍から朱印地を賜っています。
長禅寺略記
名称 | 長禅寺 |
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読み方 | ちょうぜんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0297-74-0008 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 延命地蔵尊 |
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山号 | 大鹿山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 承平元年(931年) |
開山・開基 | 平将門 |
文化財 | 三世堂 茨城県指定文化財 |
ご由緒 | 長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派の古刹で、京都の妙心寺の末寺です。本尊は延命地蔵尊です。
長禅寺略記 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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