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てつぎじんじゃ

手接神社の御由緒・歴史
茨城県 高浜駅

ご祭神《主》罔象女命,大己貴命,少彦名命
ご由緒

むかしむかし、この地は芹沢隠岐守俊幹(せりざわおきのかみとしもと)という殿様が治めていました。

ある日、俊幹が愛馬を梶無川(かじなしがわ)の岸を散歩していると、突然馬が足を踏ん張って進みません。おかしいと思って見ると、つる草のような髪を振り乱して馬の尻尾を引っ張る河童(かっぱ)がいました。俊幹はすぐに刀を抜くと、尻尾を掴む河童の手を一刀両断。そして尻尾を掴んだままの手を屋敷に持って帰りました。

その夜、俊幹の枕元に昼間の河童が現れ、涙ながらに訴えました。「私は梶無川に棲む七郎河童です。昼間は殿様の馬にいたずらをしてしまい、手を失いました。とても反省しています。ただ、心配なのは年老いた母の事です。このままでは泳ぐことも魚を獲ることもできません。どうか手をお返し頂けないでしょうか。手は接(てつぎ)などが出来ます。もしお返し頂けるなら毎日魚を届けます。ご先祖から伝わる薬の作り方も教えいたします。」俊幹は母を思う河童の心に免じて「もう悪いことはしないように」と言って、手を返してあげました。

河童は約束を守り、薬の秘宝ときりすねなどを俊幹に伝えました。そして、翌日から毎日2匹の魚が屋敷に届けられるようになりました。魚は屋敷の梅の木に掛けられたので、この木は魚掛梅(うおかけのうめ)と呼ばれました。

それから数年たったある日、いつも届けられるはずの魚がありませんでした。
翌日、河童を心配した俊幹が川に行くと、河童が泡を吹いて死んでいるではありませんか。哀れに思った俊幹が祈ると、河童の遺体は川上へと逆流していきました。

そして、遺体が川上の与沢に流れ着くと、それを見つけた芹沢家の家臣は俊幹に報告し、その場所に小さな祠(ほこら)を建てました。それが1,481年の事。祠は手接明神(てつぎみょうじん)と呼ばれ、人々に大切にされました。やがて祠は場所を移して手接神社となりました。1507年の事と言い伝えられています。

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