ことひらじんじゃ
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楽しみ方金刀比羅神社へのアクセス
| 近くの駅 | ◼︎JR常磐線 ◼︎JR常磐線 ◼︎JR常磐線 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。 情報提供: HeartRails Express |
|---|---|
| 電話番号 | 0299‐22‐2813 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
駐車場に関する投稿

新しい御朱印帳の1ページ目を飾ったのは、總社宮からも比較的近いこちらの神社。
どうも、どのレビューサイトやGoogle Mapを見ても、書体については誉めてるものの、社務所とか宮司さんについて否定的なコメントが多かったので少し迷ったのですが行ってみることに。
鳥居や社殿は思ったより立派でした。
社務所も建造当時はかなり立派な建物だったと思われるんですが、如何せん古い+乱雑な感じがするんですよね・・・
まぁ、古いというだけなら神社にとっては勲章のようなものかと思いますが、どうも参拝客が少ないのか寂れてるような感じ。
人の住まなくなった家が徐々に朽ちていくような、あれに近い感覚がしました。(実際に隣に廃墟があった(^^;)
宮司さんについては・・・まぁいわゆる陽キャではないんですが、対応も丁寧でしたし特に問題なかったです。
これについては自分も結構な陰キャで人のことどうこう言える立場ではないのでノーコメントw
祭神が日本最強怨霊の崇徳院らしいので、もしかしてこれが理由?w((( ;゚Д゚)))
ちなみに隣に清凉寺という真逆なイメージの名前の寺院がありw こちらも受印できるらしいので行ってみようと思ったんですが、神社側からはアクセスできず、反対側に回っても駐車場がわからなかったので今回は諦めました(>д<)








金刀比羅神社(石岡)は、茨城県石岡市にある神社。主祭神は大物主神、崇徳天皇、配祀神の香取神社祭神は経津主命。
社伝によると、中世において常陸国に勢力を誇った軍事貴族である大掾(だいじょう)氏が軍神、守護神として外城カンドリ(古地名)の地に香取神宮を祀ったのが始まり。当社石碑によると、江戸時代後期の1827年に金刀比羅神社社殿を造営して,讃岐の国の金刀比羅神社を勧請して祀ったとある。金刀比羅神社は江戸時代以来、航海守護や開運の神として信仰されてきたが、当社も古くから海の守り神として、銚子、那珂湊、平磯、平潟などの漁民から信仰され繁栄した。かつては、金刀比羅神社の例祭には大勢の参詣人で賑わったとのこと。
当社は、JR常磐線・石岡駅の南西700mほどの市街地の大通り沿いにある。南隣はNTT石岡(国府)のビル。街中の神社としては広めで、樹木は少なく境内は明るい。境内の南半分が社殿、参道、境内社があり、北半分は社務所、駐車場といった造り。
今回は、式内論社の佐志能神社(村上)の御朱印を拝受できることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には誰も参拝者はいなかった。

市街地の大通りに面している<鳥居>と<社号標>。鳥居右奥に見える大きな建物が<社務所>。御朱印はこちら。

鳥居が巨大で社号標が離れているので、社号標をアップにするとこんな感じ。(駐車場は大きい。)

鳥居をくぐった景色。社殿まではけっこう距離があって、途中にも見どころもたくさんある心憎い設定。

地元の歴史を記した巨大な石碑。

鳥居くぐってすぐ、参道左側に建つ境内社群。

境内社群前から社殿を望む。

参道右側には、明治の俳人・正岡子規が学生時代『水戸紀行』でつづった当地付近での俳句。

参道右側に<手水舎>。

大正時代に当社にまつわる事象を記した石碑。

<拝殿>遠景。黒く大きく威厳のあるプロポーション。

<拝殿>全景。

<拝殿>正面。

参道右側にある境内社群。左側が<粟嶋神社>、右側が<神馬舎>。

拝殿右奥にある境内社。

<社殿>全景。

拝殿背後の<本殿>。拝殿が大きく立派な分、こぢんまりして見える。
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