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西光院ではいただけません
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西光院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月03日(土)
参拝:2024年5月吉日
山号は峰寺山、寺号は西光院、宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は馬頭観世音菩薩、常陸国七福神、毘沙門天、峯寺山西光院は平安初期の大同年間、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、ともは法相宗であったが、中世真言宗となり現在は天台宗に属している。峯寺山の中腹にあり、晴天の日は霞ヶ関より遠く太平洋を望むこととができ、眺望絶佳の位置にある。
自然石の観音像を本尊とするこの寺の本堂は関東の清水寺と呼ばれ、岩棚状の細長い敷地の奥の崖に懸け出して建てられた懸造りの建物で、岩肌に脚柱を建て舞台型を作った上に、桁行三間梁間三間寄棟造り瓦棒鉄板葺(もとこけら葺か)の本体を組んでいる。本堂は本県では類例のない懸造りで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない
この本堂は崖の表面に作り出された巨大な石仏の上半身をおおうように作られた珍しいもので、現在の建物は江戸時代末期頃と推定されるが、石仏が火災にあっているところから、前身堂が焼失したのが判り、寺院の創立は相当古いとみられる。またこの寺には、立木仏とよばれる十一面観音立像が祀られている。これは徳一法師の創建と伝えられ、像内にある元文二年(1737)の修理墨書銘札によると、本来ここにあったものではなく、もと山麓 吉生 よしゅう 村の立木山広照院長谷寺に伝来したものらしい。 像高597cm。 弁形 べんけい 刻出の天冠台上化仏から腰裳の下四分の一位まではハリギリ材の一木造、頂上仏をほぞ差し、両臂・両肘 矧付 はぎつ け、頭・体部とも 内刳 うちぐ りを施し、背板をあてている。像は雨にかかったせいか、像表面が荒れ、当初のノミの痕を見ることは出来ないが、そのずんどうの体躯のとらえ方、後補とはいえ、台座をつくらず自然木の根を矧付けている点など、本来立木仏として造られたことを伝えている。製作年代は平安時代末、十二世紀頃のものであると言う
自然石の観音像を本尊とするこの寺の本堂は関東の清水寺と呼ばれ、岩棚状の細長い敷地の奥の崖に懸け出して建てられた懸造りの建物で、岩肌に脚柱を建て舞台型を作った上に、桁行三間梁間三間寄棟造り瓦棒鉄板葺(もとこけら葺か)の本体を組んでいる。本堂は本県では類例のない懸造りで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない
この本堂は崖の表面に作り出された巨大な石仏の上半身をおおうように作られた珍しいもので、現在の建物は江戸時代末期頃と推定されるが、石仏が火災にあっているところから、前身堂が焼失したのが判り、寺院の創立は相当古いとみられる。またこの寺には、立木仏とよばれる十一面観音立像が祀られている。これは徳一法師の創建と伝えられ、像内にある元文二年(1737)の修理墨書銘札によると、本来ここにあったものではなく、もと山麓 吉生 よしゅう 村の立木山広照院長谷寺に伝来したものらしい。 像高597cm。 弁形 べんけい 刻出の天冠台上化仏から腰裳の下四分の一位まではハリギリ材の一木造、頂上仏をほぞ差し、両臂・両肘 矧付 はぎつ け、頭・体部とも 内刳 うちぐ りを施し、背板をあてている。像は雨にかかったせいか、像表面が荒れ、当初のノミの痕を見ることは出来ないが、そのずんどうの体躯のとらえ方、後補とはいえ、台座をつくらず自然木の根を矧付けている点など、本来立木仏として造られたことを伝えている。製作年代は平安時代末、十二世紀頃のものであると言う
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