きよたきじ|真言宗豊山派|南明山
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清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
清瀧寺 坂東三十三観音26番
本尊✨
聖観世音菩薩🙏✨
小田山⛰の空気の良いところにある
真言宗豊山派の寺院です✨
山号は南明山⛰
院号は慈眼院✨
🌸坂東三十三観音の第26番目です。
今回初めて気が付いたのてずが。。
はじっこに、本堂1969年の火災で焼失した際に残った、
木造の炭色の獅子三体🦁🦁🦁を見つけました✨✨✨
よく見ると、形のまま炭になっています🙏
獅子🦁の強さを感じ、とても感慨深いと思いました😊🍑✨
清滝寺😊🙏✨
木造の仁王尊様ですね✨
とても立派です😊🙏✨
こちらは、キャラクターの
稚児大師🌸真魚(まお)ちゃんとあります😃
山門✨✨✨
山門の中に入って、上を見ると
こんな風になっています✨✨
とても珍しいような🤔✨
お寺の入り口には、山水かな?
しきりに流れていて風情があります❣️
安産不動さま✨
こちらが、焼け残った軌跡の獅子です🦁🦁🦁✨✨✨
木々が綺麗✨✨✨
ありがとうございます😊🍑✨
清瀧寺(きよたきじ)は、茨城県土浦市にある真言宗豊山派の寺院。山号は南明山、院号は慈眼院。本尊は聖観世音菩薩。別名は「清瀧観音」。坂東三十三箇所観音霊場26番。
寺伝によると、創建は推古天皇15年(607年)、聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰に安置したのが始まり。一方、『坂東霊場記』では、奈良時代の728年に行基が滝の中に観音の姿を感得し、観音像を彫って山頂の滝口に安置したのが始まりとしている。以後、滝の水は大悲水と呼ばれ、病を治癒する霊力があるとされた。平安時代の大同年間(806年~810年)には、徳一上人により山の中腹に遷され、現在地に観音堂が建てられた。鎌倉時代には幕府御家人・八田知家の庇護で栄えたが、室町時代に戦乱で焼失。江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に再建され、幕府から朱印地を下賜されたが、明治時代以降に衰微した。昭和戦後の1969年に火災で廃寺同然となったが、1977年に信徒の尽力で本堂を再建した。
当寺は、JR常磐線・土浦駅の北北西10km、県道199号線を北上し、山を貫く朝日トンネルの手前の山の中腹にある。田畑や果樹園が広がるエリアの小山の斜面にある。境内入口から徐々に段差をもって登って行く造りで、江戸時代建立の仁王門、昭和の火災後に建立した本堂がメイン。全体的にはこぢんまりしているが、周辺が散策コースになっていることもあるのか、訪れる人は多い印象。
今回は、坂東三十三箇所観音霊場の1つとして参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外にも、バイクのライダーや家族連れ、夫婦連れなどが参拝に来ていた。
境内南端にある入口。特に寺号標や看板は立っていない。
階段を数段上がって右側にある<水盤>。
水盤の上方にある<安産不動尊>。
階段を登り切ると、左側に控え目な低い<寺号標>がある。達筆過ぎてほぼ読めないが、<南明山慈眼院清瀧寺>とある。
まず最初に現れる建物は、<山門(仁王門)>。当寺は1969年に火災に遭っているが、唯一焼けずに済んだ建物。江戸時代後期の天保年間(1830年~1844年)の建立。
基本の朱色は普通だが、刺し色で塗られた水色が何とも言えない味がある。非常に印象に残る山門。
山門をくぐって前方を望む。
階段を登ると、徐々に<本堂>が見えてくる。
端正なルックスの<本堂>。階段や本堂の周りには、真っ赤な奉納旗がはためいていて、華やかな雰囲気を醸し出している。
参道左側の<水屋>。
参道左手の<納経所>。御朱印はこちら。当寺は無住のため、地元有志が運営しているとのこと。
本堂手前は<常香炉>。
境内右手にある<大師堂>。
<本殿>全景。現在の本堂は、1969年の火災で焼失後、1977年に坂東23番・佐白山正福寺の住職が寄進したもの。
<本堂>正面。きれいに保たれている本堂。刺し色の朱色が効いている。
境内右手にある<鐘楼の梵鐘>。
最後にもう一度、<本堂>全景。
当寺の駐車場でバイクを1台で停めていたところ、ツーリングライダーが自分の両側に停めたみたい。そんなに有名なお寺ではないが、ツーリングの目的地にもなるのかな? (^▽^)/
歴史
寺伝によれば、607年(推古天皇15年)に聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰(この寺の背後の山)に安置したのが始まりと伝えられる。
大同年間(806年 - 810年)に徳一上人によって山の中腹に移され、後に現在地に観音堂が建てられた。
江戸時代には江戸幕府から朱印状を得ていたが、1969年(昭和44年)、不審火により本堂が焼失。
天保年間(1830年 - 1844年)に建てられた山門が残されている。
【小野小町伝説】
当地は小野小町終焉の地を謳う伝承地の一つでいくつかの民話が伝わっており、西に1kmほど離れた所には、小町の墓、腰掛石などが点在する。
名称 | 清滝寺 |
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読み方 | きよたきじ |
通称 | 清滝観音 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 029-867-0323(連) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
巡礼の詳細情報
坂東三十三観音 |
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詳細情報
ご本尊 | 千手千眼観音 |
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山号 | 南明山 |
院号 | 慈眼院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 推古天皇15年(607年) |
開山・開基 | 不詳 |
ご由緒 | 寺伝によれば、607年(推古天皇15年)に聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰(この寺の背後の山)に安置したのが始まりと伝えられる。
【小野小町伝説】
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体験 | おみくじ御朱印お守り札所・七福神巡り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 清滝寺(きよたきじ)は、茨城県土浦市小野にある真言宗豊山派の寺院。山号は南明山。院号は慈眼院。本尊は聖観世音菩薩。坂東三十三観音の第26番札所であり、清滝観音とも称される。 本尊真言:おん あろりきゃ そわか ご詠歌:わが心今より後はにごらじな 清滝寺へ詣る身なれば |
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歴史 | 由緒[編集] 寺伝によれば、607年(推古天皇15年)に聖徳太子作の聖観音を竜ヶ峰(この寺の背後の山)に安置したのが始まりと伝えられる。大同年間(806年 - 810年)に徳一上人によって山の中腹に移され、後に現在地に観音堂が建てられた。江戸時代には江戸幕府から朱印状を得ていたが、1969年(昭和44年)、不審火により本堂が焼失。天保年間(1830年 - 1844年)に建てられた山門が残されている。 山門(仁王門) |
引用元情報 | 「清滝寺 (土浦市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B8%85%E6%BB%9D%E5%AF%BA%20%28%E5%9C%9F%E6%B5%A6%E5%B8%82%29&oldid=102303788 |
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