えんじゅいんやくしどう
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楽しみ方延寿院薬師堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月16日(水) 19時23分33秒
参拝:2022年11月吉日
小田城下の寺社 3ヶ所目、無住のお寺というか薬師堂です。
元々は同じ小田城下にある長久寺の末寺で、火災で伽藍が焼け薬師堂のみが残ったとのこと。(長久寺については次回以降に投稿)
元は富岡という別の所に小田氏が寄進して建てられた寺で、その後現在の場所に移転。
八坂神社の創建(1651年)、薬師堂の移転(1625年) どちらも佐竹の秋田転封による小田城廃城(1602年)の少し後なので、何か連動した動きがあったのかもしれません。
さて前回の続きで小田家の不死鳥伝説。 今回は友治公の息子 義治公のお話。
祖父、父、叔父が結城秀康に仕えスッカリ徳川家に取り込まれた小田家ですが、なんとこの義治公、大阪の陣では小田旧領の回復を条件に豊臣秀頼に付きました!Σ(; ゚Д゚)
というのも祖父の氏治公が、嫡子の守治が生まれるまでの8年間、庶子の友治に「お前が次の小田家当主だ!」と言い続けており、その後も後継問題について長く放置していたため、友治公も義治公も「我らこそが小田家正統!」という意識が相当強かったらしい(^^;
しかし史実の通り大阪城は落城し豊臣家はあえなく滅亡・・・ところが!
そう、義治公も小田家の驚異の生命力と悪運の持ち主、死なないんだなこれが(^^;
重傷を負いながらも大阪の役を生き残り、最後はなぜか福島正則の客分となってシッカリ天寿を全うしたそうですw ww
戦国最弱と言われる小田家ですが、生き延びる(自分だけ)という点に関しては戦国最強だと思いますw
元々は同じ小田城下にある長久寺の末寺で、火災で伽藍が焼け薬師堂のみが残ったとのこと。(長久寺については次回以降に投稿)
元は富岡という別の所に小田氏が寄進して建てられた寺で、その後現在の場所に移転。
八坂神社の創建(1651年)、薬師堂の移転(1625年) どちらも佐竹の秋田転封による小田城廃城(1602年)の少し後なので、何か連動した動きがあったのかもしれません。
さて前回の続きで小田家の不死鳥伝説。 今回は友治公の息子 義治公のお話。
祖父、父、叔父が結城秀康に仕えスッカリ徳川家に取り込まれた小田家ですが、なんとこの義治公、大阪の陣では小田旧領の回復を条件に豊臣秀頼に付きました!Σ(; ゚Д゚)
というのも祖父の氏治公が、嫡子の守治が生まれるまでの8年間、庶子の友治に「お前が次の小田家当主だ!」と言い続けており、その後も後継問題について長く放置していたため、友治公も義治公も「我らこそが小田家正統!」という意識が相当強かったらしい(^^;
しかし史実の通り大阪城は落城し豊臣家はあえなく滅亡・・・ところが!
そう、義治公も小田家の驚異の生命力と悪運の持ち主、死なないんだなこれが(^^;
重傷を負いながらも大阪の役を生き残り、最後はなぜか福島正則の客分となってシッカリ天寿を全うしたそうですw ww
戦国最弱と言われる小田家ですが、生き延びる(自分だけ)という点に関しては戦国最強だと思いますw

駐車場が中にあったため入ってしまいましたが、参道入口にもお地蔵さんあり

もと大伽藍だったためか石碑や石仏多し

地元の出征軍人さんの慰霊碑らしい

薬師堂

グリーンアイの龍の上に鳥の巣がありました

元々お寺があった場所の名前を取って富岡山という山号

手前に小さいお堂もあり、大師堂のようです


猫じゃらしがいい感じに生えてたのでちょっとインスタ映えっぽくw
セイタカアワダチソウも意外といいアクセントになるな
セイタカアワダチソウも意外といいアクセントになるな
すてき
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くし1703投稿
信仰とは神仏への推し活と見つけたり 御朱印はサイン、御守り・御札はファングッズ、祈祷は握手会、祭りはファン感謝イベントだ!(違) ・・・寺社、歴史、民俗、ヲタカルチャー好きの好事家です。 好きな...もっと読む
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