ちょうきゅうじ|真言宗豊山派|医王山
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小田城下の寺社、6番目は有人のお寺
元は同じ常陸国でも遠く那珂郡に開基されたお寺で、佐竹配下の小場氏が小田に所替えになった慶長5年(1600)に、共に移ってきた・・・って、ここも小田氏と直接関係ねえのか orz
実は江戸時代以前には、小田城の後背地となる宝篋山に忍性開基の極楽寺という大伽藍があったそうで、ここが小田氏ともっとも密接に関係した寺院だったようです。
当時の寺の例に漏れず宝篋山も山全体が要塞化されており、平城で防御力に劣る小田城の後詰めの山城として機能したらしい。
小田氏治公が何度負けても再起できた理由の一つはこの宝篋山寺社勢力との同盟関係にあったようです。
そのため佐竹占領後は徹底的に破壊され廃寺に(>_<)
山中に遺構はかなり残ってるそうですが、まぁこちらは寺社巡りより完全に登山なので行かず。
小田城下の有人3寺のうち、ここだけが住職外出中で受印できなかった(>_<)
さすがに小田辺りになるとそう頻繁に来れる所ではないので、住職が帰ってくるのを期待して小田城跡を見学して少し時間を潰すことにしました。
今回、御朱印よりむしろ一番欲しかったのが小田城の御城印でこれを目当てに茨城に旅に出たような感じ。
ご覧のとおり不死鳥とか、氏治公の話でよくネタにされる肖像画に描かれてる謎の猫とかがモチーフになってて、これデザインした人、氏治公の萌えポイント良くわかってるな~♪と感心したw
で、受印できる「小田城跡歴史ひろば案内所」という所に行ってみたら、なんと日祝しか領布してないとのことΣ(´Д`;)
なんでだよ! 縁日とか例祭日とか宗教的裏付けがある御朱印なら特定の日しか領布しないのも理解できるが、なんでたかが御城印を勿体ぶって日にち限定にしてんだよ(#゚Д゚)
納得がいかず、なぜ特定の日しか領布しないのか案内所の職員に理由を聞いてみたところ「市役所の人がいないので・・・」
・・・( ゚д゚)ハァ? なんだそりゃ? 市が御城印の売り上げ利権でも握ってて案内所に販売委託しねーのかよ(-""-;)
てか平日しか来れない人間もいるとか全く考えてないのがいかにもお役所思考だな(´Д` )
あまりにもイミフ+お役所都合すぎる回答に激怒すると同時に一気に虚しさを覚え、もう城も見ずに小田城下を後にしました(ーдー)
この日は金曜日で、当初の予定ではあと1~2日は茨城に滞在する予定だったのですが、市役所の思惑どおりに日曜に再訪して受印したら負けだなと思い予定を繰り上げて帰途に着くことにw
境内
左に本堂、右に堂宇群
まず堂宇の方から行ってみますか
希静?静希?
読み順もわからんが何堂だかもわからん(・_・?)
覗いてみたら意外にも仏堂じゃなくて神社でしたΣ(; ゚Д゚)
ただ提灯の上の方が見切れちゃって何神社だかわからなかった( ´・ω・`)
調べてみたら琴平神社でした
10年ほど前の写真では開帳されてたんですが今は閉じられてるのかな
隣は地蔵堂? いや大師堂か
このお寺は真言宗、それも修験道とも関わり深い醍醐派!?Σ(; ゚Д゚)
琴平社が祀られてるのもその関係かもしれません
左には鐘楼
その前にはメンヒル状の無数の石柱!Σ( ̄□ ̄;)
寺じゃなくて石灯籠の説明か(^^;
古くて貴重なものなんだろくけど、さすがに灯籠とかは素人には良さや凄さがわからんw
奥にもう一つお堂
桜・・・いや梅か?
だとすると天神様かなこれ(?_?)
観音様
柔和というよりフフン(  ̄ー ̄)という感じの笑みw
かつて大伽藍の山岳要塞があった宝篋山
小田城跡
宝篋山上の山城ではなく敢えて平城として作ったのは、当時は霞ヶ浦が城近辺まで打ち寄せてて港としての機能を重視したためらしい
この御城印が今回一番の目当てだったのですが、なんで日祝しか販売しねーんだよヽ(`Д´)ノプンプン
天庵様、どうやら今回はアンタとの縁はなかったようだな(ーー;)
なんか一気に気分が萎えて小田城も見ず帰途に着く(´Д` )
歴史
室町時代の長禄3年(1459)に那珂郡小場村に開創され、 小場氏が小田に所替えになった慶長5年(1600)に、共に移ってきたと伝えられる。
小場氏は室町期の常陸守護佐竹義篤の庶長子義躬が、那珂郡に小場城を築き小場氏を称したことに始まり、 義宗の時代に豊臣秀吉の小田原出陣に参陣し、慶長五年(1600年)の佐竹藩内の領地再編で小場氏は小田城に移城しました。
名称 | 長久寺 |
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読み方 | ちょうきゅうじ |
電話番号 | 029-867-1520 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 不動明王 |
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山号 | 医王山 |
院号 | 遍勝院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 至徳3年(1386年)佐竹郡小場にて創建 慶長3年(1598年)当地に移転 |
ご由緒 | 室町時代の長禄3年(1459)に那珂郡小場村に開創され、 小場氏が小田に所替えになった慶長5年(1600)に、共に移ってきたと伝えられる。
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体験 | 武将・サムライ |
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