やさかじんじゃ
八坂神社のお参りの記録一覧
祇園祭があちこちで行われていて、今日は小田地区です。
ちょうど神輿が移動するところで、氏子の方と打ち合わせしていました。
参拝してお祭りエリアに移動すると、神輿が来ていました。日没後に盛り上がるのですが、そこまで暑くて居られないので、団子を食べて帰りました。
出店がいっぱい。中央に神輿
小田城下には有人寺が3と無住寺が1、神社は3社ありますが全て無人社 (後背地の宝篋山も入れると若干増える)
神社の方が受印できるところがなくぶっちゃけややつまらんのですがw 数は少ないし範囲も狭いので一応全部回ってみることに。
まずはこちらの神社。
創建は江戸初期・・・って、じゃあ小田氏とは無関係やんΣ(-∀-;)
まぁ一応ここも小田城の土塁遺構の一部らしく僅かながら関係がなくもないw
江戸時代になってからの小田家の動向についてですが、
氏治公には、友治、守治、駒姫という三人の子がいました。 このうち守治と駒姫は結城秀康の家臣や側室となり平穏のうちに一生に終えました。
(ちなみに守治公にも香ばしい逸話がいくつかあり、小田家ってホントこんなんばっかw)
・・・しかし、友治公だけは親父殿以上に波乱万丈な人生を歩んだ人だった。
まず長兄ながら庶子ということで、幼くして小田原北条氏に人質に出されそのまま北条の家臣に。
北条家が滅ぶと豊臣秀吉の甥の秀次に仕える。
ここでは里帰りや墓参と称してたびたび関東に出入りし東国大名の動静を探るスパイのようなことをしていたようで、その実績から朝鮮出兵では船奉行に任命され伊勢と播磨に3100石の領地を与えられる。やったね友ちゃん!
ところが主君秀次が謀反の疑いを掛けられて切腹!
重臣達も次々と後を追うも、友治公は小田家伝来の恐るべき生存能力を発揮して直前に行方をくらまし難を逃れる。 しかしこれで豊臣家で築いたキャリアはすべてパーにw
だが小田家の不死鳥の血は死なず! なんと今度は徳川家康に取り入り父や弟と同じく結城秀康の家臣に。
ここでもたちまち頭角を表し秀康の相談役にまで上り詰める。
そして迎えた関ヶ原の戦い。
秀康は家康に対上杉景勝への牽制を命じられて宇都宮に布陣していたのですが、何を思ったのか友治公、なんと秀康に関ヶ原への抜け駆けを進言!(; ゚Д゚)
「家康公もきっと殿のお気持ちをわかってくださるはずです!」とか煽ったらしいのですが・・・
わかってもらえませんでしたwww
宇都宮を勝手に離れて関ヶ原にきた秀康に狸親父は激怒!
余計なことを言って父に疎まれるキッカケを作った友治を秀康は深く恨み、弟守治の家臣となることを命じられたのですが「兄より優れた弟なぞ存在しねえ!!(#゚Д゚)」というプライドがあったのか結城家を退去。
晩年は京都で出家して天寿を全うしましたとさ。
何が凄いって、これだけ何度もやらかしてるのにしぶとく再起するのと、絶対に死なず天寿を全うしてるところ!Σ(; ゚Д゚)
この小田家の不屈の魂と悪運の強さにあやかりたくて小田城へ旅を企画した次第でありますw
実は氏治公、友治公の親子二代だけでなく、友治公の息子の義治公という人もこれまたゴキブリ・・・いやw不死鳥なんですが、長くなったのでまた次回に。
鳥居
御神木
何の木だかわかりませんが相当な樹齢かと
左の方にはベンチやブランコ
拝殿
本殿
本殿内をかろうじて撮影
結構すごい彫刻がある様子
右手に境内社
この右手の盛り上がってるところが小田城の土塁一部と思われます
周辺の石には小さい地蔵と梵字のようなものが刻まれてる
こちらは何かスマイルマークのようなものが刻まれてますw😄
境内社内の石碑は・・・泰山大神??
閻魔大王の十王の一人、泰山大王のことですかね?(?_?)
左の方にも境内社
子安観音かな?
馬に乗った大黒天のような像もありますが、もしかしたら狐に乗った稲荷神かも
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