よしだじんじゃ
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吉田神社の編集履歴
2024年06月15日 14時57分
ご由緒
後三年の役(平安時代後期)の折、陸奥守を 拝命した源義家(八幡太郎義家)は陸奥国に向かう道中、神社に立ち寄り武運を祈りました。 そのとき当時の長者が義家軍を大いに歓待した と言われています。数年後、義家は無事に任務 を果たしての帰路、再び当地に立ち寄り、軍配 団扇をお礼として置いていきました。現在の軍 配団扇はその長者が奉納したものといわれており、社宝として現在も神社に納められています。
元は八幡神社と呼ばれていましたが、水戸藩主徳川光圀公の命で常陸第三宮・吉田神社より日本武尊の分霊を祀し吉田神社に改称されました。
またこの西方すぐ先には、建武3年(1336)水戸城主大掾氏の家臣鍛省貞国(後の川和 田入道)によって城され、その後水戸城を占拠した江戸氏によって家臣の春秋氏が城主と なり、天正18年(1590)佐竹氏の水戸城攻略に際して落城、その後廃城となった河和田城址があります。
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