いつきじんじゃ
齋神社の編集履歴
緯度
35.286575545962734
編集前:35.2867143
経度
134.75533990429918
編集前:134.7553104
郵便番号
667-0145
ご由緒
聖武天皇の天平二年(西暦七三〇年)の創立と伝えられ、足利時代 山名氏の崇敬を受け、江戸時代は生野代官の信仰を得たり。
聖武天皇の天平二年の創立と伝へ現在地より三百米ばかり隔てた丘陵に鎮座せり。鎌倉時代神田一反歩を有し、足利時代、山名氏の崇敬を受け、江戸時代、生野代官の信仰を得たり。
明治六年十月村社に列し、昭和十年十月郷社に昇格せり。
毎年四月十五、十六日の両日、但馬開発にかかわる伝説として、十六粁離れた養父神社より神輿の渡御あり。
見所
御朱印は養父神社にて授与
参拝時間
24時間
駐車場
鳥居の右手に駐車スペースあり
御朱印
あり
行事
お走り祭りの伝説
お走り祭りは、養父神社の神輿が四月十五日・十六日の二日間「ハツトウ、ヨゴザルカ」と掛け声を掛けあい ながら、斎神社までの往復四十キロの道のりを練り歩く祭りである。神輿は重さ百五十キロもあり、途中川渡御を しながら進む奇祭である。斎神社拝殿に奉納されている絵馬から、江戸時代の祭りの様子がうかがえる。この 祭りの由来については「神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地になら ないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ。土木の神様である斎明神にお願いしてはということに なり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。斎明神は快く引き 受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。 喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走(十二月)の未の日と申の日にかけてお礼参り された」のが、お走り祭りの始まりと伝えられている。なお、明治十年より四月十五日・十六日に祭日が変更 された
文化財
摂社楯縫神社本殿が、平成22年8月20日に兵庫県登録文化財