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あめのまひとつじんじゃ

天目一神社の御由緒・歴史
兵庫県 黒田庄駅

ご祭神《主祭神》
天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)
《配祀神》
大雀命(オオサザキノミコト)
日本武命(ヤマトタケルノミコト)
天穂日命(アメノホヒノミコト)
創建時代不詳(復興は大正十二年)
創始者不詳
ご由緒

 天目一神社は、延喜五年(927)に編集された『延喜式』神名帳みその名が見られる''式内社''。奈良時代(710〜794)初期に編まれた『播磨国風土記』の詫賀郡の条に御祭神の天目一箇命が登場することから、極めて古い時期に成立した神社と考えられています。
 そのような古社も、天正八年(1580)に三木城主別所氏の兵火(一説に平家の時代とも)によって記録は失われ(『神社誌』)、やがてお社がどこにあったのか知る人はいなくなってしまいました。それでも多可郡内に各所に天目一箇命にまつわる伝承が伝えられています。
 明治時代、再び式内社への関心が高まると、飾磨県による神社調査が行われ、著名な学者や歴史家が「天目一神社は今、大木村に在り」と推定します(『神祇志料』、『播磨国式内社考』、『大日本地名辞書』等)。様々に論争が交わされましたが、当時の多可郡神職会も大木説を支持するに至り、復興の機運が一気に高まったのです。
 再建地となったのは、古代建築の礎石が残り古くから神聖視されていた惣堂天王社の杜。ここには天目一社の小さな祠があったようで、明治末期から大正の初めにかけて村内の明神社、大年神社、若宮神社、さらに平野神社が合祀されます(『神社誌』)。そして大正十二年(1923)、新たな社殿が完成し復興されたのが現在の天目一神社です。

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