さがみじ
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酒見寺ではいただけません
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酒見寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年06月28日(火)
参拝:2022年4月吉日
【播磨國 古刹巡り】
酒見寺(さがみじ/さがみでら)は、兵庫県加西市北条町にある高野山真言宗の寺院。山号は泉生山(せんしょうざん)。本尊は十一面観世音菩薩。多宝塔は国指定の重要文化財。
寺伝によると、奈良時代の745年、酒見明神の神託を受けた行基が聖武天皇に奏上し、寺号を泉生寺酒見寺として開創し勅願寺としたという。平安時代から毎年勅使の参詣が行われていたが、1159年に平治の乱で全山を焼失、二条天皇の御朱印を賜り勅により再建されている。戦国時代の天正年間(1573年~1591年)にも兵火で全山を焼失したが、播磨姫路藩初代藩主・池田輝政が姫路城の守護寺と定め援助、次の藩主・本多忠政も保護、寛永年間(1624年~1643年)には江戸幕府の命を受けた実相院隆恵によって再興された。江戸幕府からの保護も受け朱印地60石を下附された。
当寺は、北条鉄道の終点・北条町駅の北北西700mの平地、住宅街の中にある。草木の少ない境内はかなり広々としていて、西側にも広い境内の住吉神社が壁や仕切りもなく隣接しているので、合わせてかなり広大に見える。仁王門から本堂に向かってまっすぐに参道が伸び、その両側に建物が間隔を空けて整然と並んでいるのが特徴。境内が綺麗にされていることもあって、気持ちが引き締る心地いい空気感。
今回は、播磨國の式内社・住吉神社の隣にあって、良い雰囲気の寺院だったので参拝してみることに。伽藍を見て廻って、多宝塔が国指定の重要文化財と分かってびっくり。参拝時は休日の昼過ぎで、自分以外にも何組かの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<楼門>。江戸時代後期1825年の再建。三間一戸の楼門で、入母屋造、本瓦葺。
楼門をくぐったところからの眺め。本堂までまっすぐに参道が伸び、その両側に伽藍が適度な間隔を持って建ち並んでいる。
参道左側の<水屋>。
つづいて参道左側の<常行堂>。別名は引聲堂、阿弥陀堂、安産堂。江戸時代後期(19世紀前期)の再建。桁行五間、梁間五間、寄棟造、銅瓦葺、向拝一間。本尊は阿弥陀如来、脇士は観世音菩薩と勢至菩薩(阿弥陀三尊)。
参道右側には3つの建物がほど良い感覚で並んでいる。
まず1つ目は<地蔵堂>。別名は水子地蔵、子育て地蔵。本尊は地蔵菩薩。江戸時代中期の1754年再建。正面三間、側面三間、宝形造、本瓦葺。
つづいて2つ目は<多宝塔>。現在の伽藍は戦国時代の天正年間(1573年~1591年)に兵火に遭って焼失し、その後再興されている。この多宝塔は江戸時代前期1662年の再建。屋根は上重が檜皮葺、下重は本瓦葺で、非常に珍しいとのこと。
最後3つ目は<観音堂>。江戸時代末期(19世紀中期)の再建。方三間、宝形造、本瓦葺。
参道左側にある<観世音菩薩像>。看板には「茶之寿観世音 第二番霊場」とある。
参道突き当りの<本堂>全景。江戸時代前期1689年の再建。桁行三間、梁間三間、入母屋造、一重裳階付、本瓦葺、向拝一間。
<本堂>正面。扁額はない。簡素な彫刻でシンプルな造り。
本堂から振り返った眺め。整然としていて気持ちが良い。
本堂の右側にある<鐘楼>。江戸時代前期1664年の建立。和様を基調とし、部分的に唐様を混合した様式。
鐘楼の北側に持仏堂、護摩堂があって、塀の内側は寺務所かな。
池の上に浮かぶ建物(隣の住吉神社の境内社かな?)。
境内北西端にある建物。鎮守社か何かかな?(。´・ω・)?
境内北西端にある<御影堂>。江戸時代前期(17世紀後半)の再建。方三間、宝形造、本瓦葺、向拝一間。本尊は弘法大師。
写真左側の燈籠がとにかく豪華でインパクト大。(^▽^)/
写真左側の燈籠がとにかく豪華でインパクト大。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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