おのえじんじゃ
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尾上神社ではいただけません
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尾上神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年11月07日(月)
参拝:2022年10月吉日
久しぶりに尾上神社へお参り。
謡曲「高砂」の舞台で、「高砂うたひの名所」となっています。
相生霊松「尾上の松」は一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が生えています。
現在は八代目が大事に育てられています。
社伝によると、神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に上陸したものの霖雨が続いて船を進めることができなかったので、「鏡の池」で斎戒沐浴して住吉大明神を祀って晴れを祈願したのが当社とされています。
ということは、3~4世紀頃の創立ということでしょうか。
またこちらには重要文化財の「尾上の鐘」があります。
「尾上の鐘」には以下のような沈鐘伝説が残されています。(尾上神社HPより)
元々龍宮にあった釣鐘を神功皇后が三韓従伐からお帰りの時、尾上神社に納められたといわれておりました。
ある日、海賊が、赤胴でできていると言われていたこの釣鐘を船に積み込み盗み出しました。足摺岬まで船で運んで来た時に急な大嵐になり、沈没しそうになってしましました。
「これは大変だ、龍宮の神様が釣鐘を返せと怒っているんだ!早く返さないと沈没するぞ!」
海賊達は慌てて 釣鐘を海に投げ込みました、すると、どうでしょう海はみるみる静かになっていきました。
その事件のあとしばらくすると、その近辺の海では、夜中になると海中が光るようになりました。
その明かりによって漁ができなくなった漁師たちは困りはて、ある識者に尋ねに行きました。
「これはきっとたいへんな宝物だ。みんなで引き上げてみなさい。」と言われた漁師たちは、力をあわせて引き上げました。すると釣鐘だったのです。釣鐘には、この時にできたといわれる、ひび割れが残っています。
この 釣鐘は一度は高野山へ奉納されました。しかし、この鐘を鳴らすたびに、「おのえへ、いのー。おのえへ、いのー」(尾上へ帰ろう)と、聞こえてくるため、詳しく調べてみると尾上の鐘だと分かり、そして尾上神社に帰ってきたという話です。
謡曲「高砂」の舞台で、「高砂うたひの名所」となっています。
相生霊松「尾上の松」は一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が生えています。
現在は八代目が大事に育てられています。
社伝によると、神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に上陸したものの霖雨が続いて船を進めることができなかったので、「鏡の池」で斎戒沐浴して住吉大明神を祀って晴れを祈願したのが当社とされています。
ということは、3~4世紀頃の創立ということでしょうか。
またこちらには重要文化財の「尾上の鐘」があります。
「尾上の鐘」には以下のような沈鐘伝説が残されています。(尾上神社HPより)
元々龍宮にあった釣鐘を神功皇后が三韓従伐からお帰りの時、尾上神社に納められたといわれておりました。
ある日、海賊が、赤胴でできていると言われていたこの釣鐘を船に積み込み盗み出しました。足摺岬まで船で運んで来た時に急な大嵐になり、沈没しそうになってしましました。
「これは大変だ、龍宮の神様が釣鐘を返せと怒っているんだ!早く返さないと沈没するぞ!」
海賊達は慌てて 釣鐘を海に投げ込みました、すると、どうでしょう海はみるみる静かになっていきました。
その事件のあとしばらくすると、その近辺の海では、夜中になると海中が光るようになりました。
その明かりによって漁ができなくなった漁師たちは困りはて、ある識者に尋ねに行きました。
「これはきっとたいへんな宝物だ。みんなで引き上げてみなさい。」と言われた漁師たちは、力をあわせて引き上げました。すると釣鐘だったのです。釣鐘には、この時にできたといわれる、ひび割れが残っています。
この 釣鐘は一度は高野山へ奉納されました。しかし、この鐘を鳴らすたびに、「おのえへ、いのー。おのえへ、いのー」(尾上へ帰ろう)と、聞こえてくるため、詳しく調べてみると尾上の鐘だと分かり、そして尾上神社に帰ってきたという話です。
すてき
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