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ふくでんじ|曹洞宗大津山

福田寺の御由緒・歴史
兵庫県 尾上の松駅

ご本尊十一面観世音菩薩
創建時代606
開山・開基聖徳太子

歴史の写真一覧

福田寺の歴史
歴史
山門を出ると、寺号碑揮毫宮崎奕保禅師 南には稲屋天神社でした
福田寺の歴史
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稲屋構居跡 「播磨鑑」や「播州古城記」によれば、東西27間、南北32間で、中世の雁南荘稲屋村の1丁西に位置し、稲屋殿と呼ばれる人物の城館です。 稲屋村は、中世には「大津稲屋」とか「稲屋千軒」と呼ばれ、加古川河口の船着場として大いに栄えたようです。 平成17年3月   加古川市文化財保護協会
福田寺の歴史
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大津山 福田寺(ふくでんじ) ~現代のドラマ・加古川の西大寺   福田寺 💠 四季草花の寺…
福田寺の歴史
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福田寺の御先代、第十八世宮崎奕保禅師様 「宮崎奕保(えきほ)」という僧名は、名前である「保」に加えた「奕」の字は、小塩師匠が尊敬していた明治の傑僧、諸嶽奕堂(もろたけえきどう)禅師の名前からいただかれたそうです。 平成5年(1993年)に大本山永平寺第七十八世貫首に就任されました。その後、世寿百八歳にて平成18年(2008年)に御遷化なされるまで、曹洞宗管長職を歴任され、全国各地を巡錫、教化に努められました。 宮崎禅師様は加西市の生まれで、当山にて10歳の時に第十七世小塩誾童大和尚のもとで得度されました。厳しい誾童師のもとで修業に励まれ、師が御遷化されたのち、29歳にて当山十八世に就任されました。爾来、札幌中央寺に移られるまで46年の長きにわたり、福田寺の御住職をお勤めになりました。その間、大本山永平寺で単頭職、後堂職を歴任され、本山でも修行僧の指導に当たられました。後堂職にあられたときに粟粒結核を患われ、帰山後も長期の入院を余儀なくされ,生死の境をさまよわれたこともありました。75歳のときに、札幌・中央寺に移られたのちは、大本山永平寺監院、同副貫首を歴任され、上述のように、平成5年には92歳という高齢で大本山永平寺貫首に就任されました。
福田寺の歴史
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