こうおんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
高薗寺ではいただけません
広告
高薗寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月01日(月)
参拝:2023年4月吉日
真言宗大覚寺派 野寺山 高薗寺
播磨西国三十三ヶ所観音霊場 第二十四番札所
御本尊 十一面千手千眼観音立像
境内の北側には森を挟んで高薗寺球場、南側には辰巳池という静かな環境にあります。
県道65号線(神戸加古川姫路線)より1本北側の少し細い道路沿いのため、少々わかりづらいかもしれませんが、カーナビがきちんと案内してくれました。
山門はいつも閉じられているようですが、少し東に進むと境内に入ることができます。
境内は広く、本堂(観音堂)・薬師堂・鐘楼などゆったりと配置されています。
昔はさらに広く七堂伽藍があり、多くの僧坊が建ち並んでいたそうです。
白雉年間(650~654年)に法道仙人によって開かれたと言われています。
その後一度衰退してしまいますが、文和4年(1355年)如林上人が中興の祖となる。
しかし天正6年(1578年)の三木合戦で羽柴秀吉の攻めにあい全焼。
現在の本堂(観音堂)は寛永2年(1645年)に造営され、明治5年(1872年)に修復。
毎年2月9日、10日には鬼追式が本堂で行われます。
播磨西国三十三ヶ所観音霊場 第二十四番札所
御本尊 十一面千手千眼観音立像
境内の北側には森を挟んで高薗寺球場、南側には辰巳池という静かな環境にあります。
県道65号線(神戸加古川姫路線)より1本北側の少し細い道路沿いのため、少々わかりづらいかもしれませんが、カーナビがきちんと案内してくれました。
山門はいつも閉じられているようですが、少し東に進むと境内に入ることができます。
境内は広く、本堂(観音堂)・薬師堂・鐘楼などゆったりと配置されています。
昔はさらに広く七堂伽藍があり、多くの僧坊が建ち並んでいたそうです。
白雉年間(650~654年)に法道仙人によって開かれたと言われています。
その後一度衰退してしまいますが、文和4年(1355年)如林上人が中興の祖となる。
しかし天正6年(1578年)の三木合戦で羽柴秀吉の攻めにあい全焼。
現在の本堂(観音堂)は寛永2年(1645年)に造営され、明治5年(1872年)に修復。
毎年2月9日、10日には鬼追式が本堂で行われます。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。