いなづめじんじゃ
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稲爪神社ではいただけません
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稲爪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年02月18日(金)
参拝:2022年2月吉日
稲爪神社
~左甚五郎作の彫刻~
主祭神 大山祇神
面足神
惶根命
伊和都比売命
奥津比古命
奥津比売命
宇留命
社格 式内社(小)論社
旧郷社
創建 推古天皇年代
本殿様式 流造
例祭 10月8日
主神事 神楽獅子舞
御由緒
7世紀はじめの推古天皇の時代に異国三韓より鉄人が8千名を率いて攻めて来たのを朝廷より勅命を受けた伊予国の越智益躬は九州まで出向き降伏を装って敵陣に入り東へ道案内の途中明石へ入った時俄かに空が暗くなりすさまじい稲妻の中三嶋大明神が現れ鉄人たちは雷に撃たれてしまったと言います。そこで益躬はこの地に三嶋大明神を祀り稲妻大明神と崇めたのが稲爪大明神へと変化したのが稲爪神社の始まりだと伝わります。戦国時代には別所氏方の大蔵谷城を攻めた高山右近により焼かれ暫くの間は北側に仮宮が置かれましたが(現在の熊野皇神社のある場所)、江戸時代に入り元の場所へ再建されています。なお現在の拝殿などは昭和52年の火災後に再建されたものです。
旧山陽道と国道2号線に挟まれた場所に位置する稲爪神社は大蔵谷の産土神であり、岩屋神社と並ぶ明石を代表する神社です。
左甚五郎作の彫刻
素戒鳴尊、八岐大蛇退治をモチーフとしたもので左甚五郎作と伝わります。 左甚五郎は明石の和坂生まれという地元伝承があり彼の作品と伝わる山門や木像などが何ヵ所か明石市内にもありますが、この門は一般に知られる左甚五郎の作品の可能性が高いといわれています。
稲爪神社には文化財指定を受けている複数の神事が伝承されています。兵庫県指定無形民俗文化財の大蔵谷の獅子舞は京へ上る途中だった秋月種実が大蔵谷宿で宿泊した当日が稲爪神社の宵宮で秋月家の先祖大蔵氏時代から伝わる獅子舞神楽を奉納したのが始まりと伝わるもの。牛乗りと大蔵谷の囃口流しは明石市指定無形文化財となっています。
~大山祇神~
記紀神話で、伊弉諾・伊弉冉尊の子、また磐長姫(イワナガヒメ)・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父として語られる神。『古事記』で大山津見神、『伊予国風土記』逸文で大山積神と記されます。本居宣長は『古事記伝』のなかで、山津見とは山津持、すなわち山を持ち、つかさどる神のことであるという賀茂真淵の説を紹介されています。『伊予国風土記』逸文で、仁徳天皇のとき百済国より渡来、初め摂津国御島(大阪府三島)に座し、のち伊予国御島(愛媛県今治市大三島町)に移り、現在の大山祇(オオヤマヅミ)神社に祀られたと記し、『釈日本紀』に現在の静岡県三島市大宮町の三嶋大社の祭神としても記されています。
現在各地の神社に祀られている大山祇神は、山の神として一般に信仰されてきた神です。
明石市大蔵本町6―10
~左甚五郎作の彫刻~
主祭神 大山祇神
面足神
惶根命
伊和都比売命
奥津比古命
奥津比売命
宇留命
社格 式内社(小)論社
旧郷社
創建 推古天皇年代
本殿様式 流造
例祭 10月8日
主神事 神楽獅子舞
御由緒
7世紀はじめの推古天皇の時代に異国三韓より鉄人が8千名を率いて攻めて来たのを朝廷より勅命を受けた伊予国の越智益躬は九州まで出向き降伏を装って敵陣に入り東へ道案内の途中明石へ入った時俄かに空が暗くなりすさまじい稲妻の中三嶋大明神が現れ鉄人たちは雷に撃たれてしまったと言います。そこで益躬はこの地に三嶋大明神を祀り稲妻大明神と崇めたのが稲爪大明神へと変化したのが稲爪神社の始まりだと伝わります。戦国時代には別所氏方の大蔵谷城を攻めた高山右近により焼かれ暫くの間は北側に仮宮が置かれましたが(現在の熊野皇神社のある場所)、江戸時代に入り元の場所へ再建されています。なお現在の拝殿などは昭和52年の火災後に再建されたものです。
旧山陽道と国道2号線に挟まれた場所に位置する稲爪神社は大蔵谷の産土神であり、岩屋神社と並ぶ明石を代表する神社です。
左甚五郎作の彫刻
素戒鳴尊、八岐大蛇退治をモチーフとしたもので左甚五郎作と伝わります。 左甚五郎は明石の和坂生まれという地元伝承があり彼の作品と伝わる山門や木像などが何ヵ所か明石市内にもありますが、この門は一般に知られる左甚五郎の作品の可能性が高いといわれています。
稲爪神社には文化財指定を受けている複数の神事が伝承されています。兵庫県指定無形民俗文化財の大蔵谷の獅子舞は京へ上る途中だった秋月種実が大蔵谷宿で宿泊した当日が稲爪神社の宵宮で秋月家の先祖大蔵氏時代から伝わる獅子舞神楽を奉納したのが始まりと伝わるもの。牛乗りと大蔵谷の囃口流しは明石市指定無形文化財となっています。
~大山祇神~
記紀神話で、伊弉諾・伊弉冉尊の子、また磐長姫(イワナガヒメ)・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父として語られる神。『古事記』で大山津見神、『伊予国風土記』逸文で大山積神と記されます。本居宣長は『古事記伝』のなかで、山津見とは山津持、すなわち山を持ち、つかさどる神のことであるという賀茂真淵の説を紹介されています。『伊予国風土記』逸文で、仁徳天皇のとき百済国より渡来、初め摂津国御島(大阪府三島)に座し、のち伊予国御島(愛媛県今治市大三島町)に移り、現在の大山祇(オオヤマヅミ)神社に祀られたと記し、『釈日本紀』に現在の静岡県三島市大宮町の三嶋大社の祭神としても記されています。
現在各地の神社に祀られている大山祇神は、山の神として一般に信仰されてきた神です。
明石市大蔵本町6―10
すてき
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住吉大神の宮九箇処
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東村の 神の子 弦申様は
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