いわやじんじゃ
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岩屋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月01日(水)
参拝:2023年10月吉日
明石市の材木町では最も参拝者の多かった神社です。
七五三の季節ですね。
この地に鎮座されて188(いわや)0年と書かれていました。
ご祭神はたくさん 伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、大日霎命(おおひるめのみこと=天照大神)、月読命(つくよみのみこと)、素盞鳴命(すさのをのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと=恵比須神)です。
漁港から歩いてすぐの所に鎮座されています。
境内社もとても多いです。
猿田彦神社(猿田彦命)、随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)、弓洲恵神社(武甕槌命)、粟島神社(少彦名命)、住吉神社(少童海神)、八幡神社(誉田別尊)、水分神社(水分神・瀬織津彦神・瀬織津姫神・水速女神・彦龍神・比賣龍神・豊玉比賣神・玉依比賣神・底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命)、稲荷神社(稲倉魂神)、蛭子社(蛭子命)
これだけたくさん神様がおられたら接待も大変です。
由緒については
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により 淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く 江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ 例年藩主自らが参拝。
社領12石5斗を賜わる。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継 松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。
以後 世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。
明治7年2月郷社に列し 同12年7月に県社に昇格。
また当社は式内伊和都比賣神社に比定される。
とありました。
七五三の季節ですね。
この地に鎮座されて188(いわや)0年と書かれていました。
ご祭神はたくさん 伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、大日霎命(おおひるめのみこと=天照大神)、月読命(つくよみのみこと)、素盞鳴命(すさのをのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと=恵比須神)です。
漁港から歩いてすぐの所に鎮座されています。
境内社もとても多いです。
猿田彦神社(猿田彦命)、随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)、弓洲恵神社(武甕槌命)、粟島神社(少彦名命)、住吉神社(少童海神)、八幡神社(誉田別尊)、水分神社(水分神・瀬織津彦神・瀬織津姫神・水速女神・彦龍神・比賣龍神・豊玉比賣神・玉依比賣神・底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命)、稲荷神社(稲倉魂神)、蛭子社(蛭子命)
これだけたくさん神様がおられたら接待も大変です。
由緒については
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により 淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く 江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ 例年藩主自らが参拝。
社領12石5斗を賜わる。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継 松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。
以後 世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。
明治7年2月郷社に列し 同12年7月に県社に昇格。
また当社は式内伊和都比賣神社に比定される。
とありました。
すてき
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