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伊弉冊神社ではいただけません
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いざなみじんじゃ

伊弉冊神社のお参りの記録(2回目)
兵庫県西新町駅

投稿日:2021年08月12日(木)
参拝:2021年8月吉日
今年の2月頃にも参拝させていただきましたが、久しぶりに明石の南をぶらぶらしてすぐそばまで来ているのにお参りしないわけにはいきません。
前回の投稿ではあまり詳しいことを掲載していなかったため、今回はもう少し詳しく紹介させていただければと思います。

延喜式神名帳の播磨国明石郡九座の一つである「伊和都比売神社」ですが、現在旧明石群内には「伊和都比売神社」はなく、論社(候補となる神社)として、稲爪神社、岩屋神社、そしてこの伊弉冊神社があげられています。

御由緒には下記のとおり記載されています。

当社は延喜式神名帳に云う明石郡九座の一つ伊和都比売神社にて人皇十代崇神天皇御 宇六年九月十日勧請せられた式内社であり人皇四十九代光仁天皇御宇宝亀二年境内地 四丁四方赦免地となり、降りて別所氏三木城主たる時崇敬厚く社領五十石を寄進祭典 営繕に当ったと云われ、其後天正年間減地となるも、東城に小祠を建て御旅所と名づ く(元の祇園さん)西城にも小祠を建て(賀神社)旧境内東西の境界の遺跡とする。
この頃の境内地域は東西に連る松林にて「さなぎの森」と呼ばれた。嘉吉年間赤松氏 の和阪ノ戦、天文年中町野入道の放火、天文年間羽柴氏三木城攻め等のしばしの兵火 に罹り社殿、旧記をことごとく焼失すると伝う。明治十二年七月二日県社に列せられ る。(旧明石郡にては最初なり)
昭和二十年六月太平洋戦争の戦災にて社殿、社務所一切の建物を焼失、昭和三十七年 社殿再建以後現在に至る。


これからもわかるように、元々はかなりの敷地を有していた大きな神社だったと思われます。
「さなぎの森」だったことからか、地元の古い方は佐奈岐神社と呼ばれているとか。

主祭神は伊弉册大神、配祀神は素盞嗚大神と、母と子が祀られている神社です。



明石市岬町19-8
伊弉冊神社の鳥居
〆鳥居
伊弉冊神社の本殿
拝殿

1962年に再建
伊弉冊神社の本殿
拝殿内
伊弉冊神社の建物その他
伊弉冊神社の手水
手水舎
伊弉冊神社の末社
摂社 福徳三宝荒神社
伊弉冊神社の末社
福徳三宝荒神社
伊弉冊神社の末社
末社

大地主神社、猿田彦神社
伊弉冊神社の自然
伊弉冊神社の歴史
由緒書き

すてき

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