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正徳寺ではいただけません
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しょうとくじ

正徳寺のお参りの記録(1回目)
兵庫県西新町駅

投稿日:2023年11月07日(火)
参拝:2023年10月吉日
明石港近くの寺社巡り 続きです。
伊弉冊神社からすぐの所にあります。
山門が開いていたので 境内に入ることができたのですが ご住職とお話しできず 本堂に入ってのお参りは遠慮させていただきました。
山門のすぐ前には 親鸞聖人御像が立っています。
HPによると還龍の庭という素敵なお庭があるのですが 残念ながら拝見できませんでした。
山号は縁光山 宗旨宗派は浄土真宗本願寺派 聖典は釈迦如来が説かれた「 浄土三部経 」  ご本尊は阿弥陀如来(?) です。

由緒については
寺伝によると 室町幕府が滅亡した天正元年(1573年)、に創建されたとある。
開基空圓法師については 二階堂出羽守入道三代の嫡流であったとも伝えられている。
宮本武蔵が町割りをしたとされる明石城下の町屋の中心に堂宇を構え 寛永18年(1641年)に焼失するも後に再建。
第5世教智の享保5年(1720年)より明石藩宗旨奉行方の御用により宗判寺となる。
第10世僧英の弘化3年(1846年) 二度目の火災により焼失。
安政3年(1856年)かつて第2世了順弟賢立の父賢誓法師が住持した奈良正覚寺より現在のご本尊となる阿弥陀如来像を奉迎した。
第11世僧厳は明石藩士杉山家より寄進された現在地に本堂を再建のため慶応4年(1868年)寄付帳を廻して 募財を請うが時は正に維新 先ずは庫裏を建て本堂の建立は時移り 第12世覺讓の明治16年(1883年)の5月に竣成となる。
その本堂も第13世了以の時代 昭和20年(1945年)7月7日未明第二次大戦の空襲により焼失。
当日の攻撃により明石市内の7割の家屋は焼失したと了以は書き記している。
昭和39年(1964年)第15世岳登は揖保郡西楽寺旧本堂(文化年間建立)を移築し落成法要を修行し その後昭和50年(1975年)に庫裏を再建、平成15年(2003年)に門徒会館を建立する。
とありました。
正徳寺の山門
山門
正徳寺(兵庫県)
山門の対面に親鸞聖人御像が立っています
正徳寺(兵庫県)
本堂

すてき

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