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応聖寺ではいただけません
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応聖寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年01月12日(木)
参拝:2023年1月吉日
應聖寺(おうしょうじ)
~今年の miracle ⑤ 奥の院と桑谷副学長~
山号 妙見山
宗派 天台宗
御本尊 薬師如来
聖観世音菩薩
創建年 白雉年間(650年頃 約1300年前)
開基 法道仙人
中興年 鎌倉時代中期
中興 祐運大徳
通称 沙羅の寺
札所等
関西花の寺二十五霊場 第8番
播州薬師霊場 第13番
御詠歌
み仏をたよりてまいる
應聖寺
山の緑に 法の風ふく
文化財
應聖寺庭園(兵庫県指定文化財)
寺宝
涅槃図、両界曼荼羅
阿弥陀如来、釈迦十六善神像、
仁王像、宝篋印塔 その他多数
御住職は、叡山学院大学(比叡山延暦寺近く)
副学長 学監 桑谷祐顕教授です。
♯6月2日
御縁起
應聖寺は天台宗に属し、比叡山延暦寺を本山としている。
古く白雉年間(約1300年前)に天竺の高僧・法道仙人によって開基されたと伝えられ、後、第89代亀山帝の御代、文永2年(1265年)冬11月、祐運大徳によって中興された(鎌倉時代)。
南北朝時代には赤松則祐公の祈願所として繁栄した。
御本尊は薬師如来と聖観世音菩薩である。
薬師如来は奥の院の御本尊様である。
聖観世音菩薩は、赤松則祐公が、平景清公の持念仏を都よりはるばる奉迎したものと伝えられている。
当寺は往昔より、福崎町高岡村の主格にあって、末社十社をもつ一の宮の別当職を兼ね、天台宗のなかでも別格の古刹として栄えた。
ところが、天保3年(1832)閏11月、災火にあい、堂宇ことごとく灰尽に帰した。
現在の建物は大正13年(1925年)改築・竣工になるものである。
尚、当寺の祈願本堂(薬師堂)は、昭和五十四年、第34世御住職祐廣和尚が往時の記録により、奥の院として再興した。
當寺は、また沙羅の寺として名を知られ京阪神方面より多くの参詣客がある。
江戸時代には姫路城主の参詣を仰ぎ、徳川将軍家三代と姫路城主歴代の位牌が安置されています。
また山門前には、頭と足は石製で、胴体はサツキの生け垣の涅槃仏があります。右脇腹を下にして横たわり、身長約8m、肩幅の一番広い所で高さ1.5m 。
この涅槃仏像は、第34世御住職祐廣和尚が1994年(平成6年)に完成されました。さらに、その周囲に日本全国の山と川の108個の石を配置し煩悩の数を表現さている、名勝應聖寺庭園(兵庫県指定文化財)を有する天台宗の御寺さまです。
当日御住職が、叡山学院大学で講義がおありでしたが、所用の為應聖寺にご滞在で「播州薬師霊場宝印帳」にお書き入れ下さいました。
播州薬師霊場ガイドは先代(第34世御住職祐廣和尚)の時代にお作りになられたもので、和尚と沙羅の花のお話、天台宗について深いお話も下さりました。
「こういう時間は、願ってもままならないもので、わたくしども宗教に携わる者でもコントロールはできません。ご縁とはふとしたことから生まれるものですね。」
お話が順序立てて優しくわかりやすく、夢の講義を聞いているようでした。
播州薬師霊場に関しても、御住職が作成されたリストも頂戴しました。
そして、奥の院が開いていますので、「鬼面👹」を展示してあります、ご覧下さい とご案内下さいました。
兵庫県神崎郡福崎町高岡1912
~今年の miracle ⑤ 奥の院と桑谷副学長~
山号 妙見山
宗派 天台宗
御本尊 薬師如来
聖観世音菩薩
創建年 白雉年間(650年頃 約1300年前)
開基 法道仙人
中興年 鎌倉時代中期
中興 祐運大徳
通称 沙羅の寺
札所等
関西花の寺二十五霊場 第8番
播州薬師霊場 第13番
御詠歌
み仏をたよりてまいる
應聖寺
山の緑に 法の風ふく
文化財
應聖寺庭園(兵庫県指定文化財)
寺宝
涅槃図、両界曼荼羅
阿弥陀如来、釈迦十六善神像、
仁王像、宝篋印塔 その他多数
御住職は、叡山学院大学(比叡山延暦寺近く)
副学長 学監 桑谷祐顕教授です。
♯6月2日
御縁起
應聖寺は天台宗に属し、比叡山延暦寺を本山としている。
古く白雉年間(約1300年前)に天竺の高僧・法道仙人によって開基されたと伝えられ、後、第89代亀山帝の御代、文永2年(1265年)冬11月、祐運大徳によって中興された(鎌倉時代)。
南北朝時代には赤松則祐公の祈願所として繁栄した。
御本尊は薬師如来と聖観世音菩薩である。
薬師如来は奥の院の御本尊様である。
聖観世音菩薩は、赤松則祐公が、平景清公の持念仏を都よりはるばる奉迎したものと伝えられている。
当寺は往昔より、福崎町高岡村の主格にあって、末社十社をもつ一の宮の別当職を兼ね、天台宗のなかでも別格の古刹として栄えた。
ところが、天保3年(1832)閏11月、災火にあい、堂宇ことごとく灰尽に帰した。
現在の建物は大正13年(1925年)改築・竣工になるものである。
尚、当寺の祈願本堂(薬師堂)は、昭和五十四年、第34世御住職祐廣和尚が往時の記録により、奥の院として再興した。
當寺は、また沙羅の寺として名を知られ京阪神方面より多くの参詣客がある。
江戸時代には姫路城主の参詣を仰ぎ、徳川将軍家三代と姫路城主歴代の位牌が安置されています。
また山門前には、頭と足は石製で、胴体はサツキの生け垣の涅槃仏があります。右脇腹を下にして横たわり、身長約8m、肩幅の一番広い所で高さ1.5m 。
この涅槃仏像は、第34世御住職祐廣和尚が1994年(平成6年)に完成されました。さらに、その周囲に日本全国の山と川の108個の石を配置し煩悩の数を表現さている、名勝應聖寺庭園(兵庫県指定文化財)を有する天台宗の御寺さまです。
当日御住職が、叡山学院大学で講義がおありでしたが、所用の為應聖寺にご滞在で「播州薬師霊場宝印帳」にお書き入れ下さいました。
播州薬師霊場ガイドは先代(第34世御住職祐廣和尚)の時代にお作りになられたもので、和尚と沙羅の花のお話、天台宗について深いお話も下さりました。
「こういう時間は、願ってもままならないもので、わたくしども宗教に携わる者でもコントロールはできません。ご縁とはふとしたことから生まれるものですね。」
お話が順序立てて優しくわかりやすく、夢の講義を聞いているようでした。
播州薬師霊場に関しても、御住職が作成されたリストも頂戴しました。
そして、奥の院が開いていますので、「鬼面👹」を展示してあります、ご覧下さい とご案内下さいました。
兵庫県神崎郡福崎町高岡1912
すてき
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住吉大神の宮九箇処
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東村の 神の子 弦申様は
播州一の男前 おとこまえーっ♪
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