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石海神社ではいただけません
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石海神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月10日(金)
参拝:2023年1月吉日
「宮本武蔵生誕の地」ということで、近くまで来たのでお参りさせていただきました。
宮本武蔵生誕地としては現在3つ説があるようで、岡山県美作市説、兵庫県高砂市説、そしてこの石海神社がある兵庫県揖保郡太子町になります。
宝暦12年に書かれた地誌「播磨鑑」に、武蔵がこの太子町で生まれたと記されているそうで、さらに「五輪書」に武蔵自ら「生国播磨の武士」と記載していることが根拠となっているようです。
その他にも資料等があったようですが、二度の大火で村の大半が罹災し古文書が消失してしまったとのこと。
すぐ近くには武蔵生家跡として伝えられているところに「産湯乃井戸」が残されていました。
石海神社(せっかいじんじゃ)の創立年月日は不詳。
舎人親王(崇道尽敬皇帝)と皇后を御祭神としてお祀りしています。
舎人親王は『日本書紀』を編纂した方で、天皇にはなっていませんが、子が第47代淳仁天皇になられたことで「崇道尽敬皇帝」の追諡があったそうです。
石海神社の元の正式名は「崇道大明神崇道天王両社」のようです。
またこの地は「宮本」と呼ばれ、当社の「宮もと」からきているそうです。
拝殿にはたくさんの奉納絵馬があり、新しいものから古いものまで見ごたえ十分でした。
宮本武蔵生誕地としては現在3つ説があるようで、岡山県美作市説、兵庫県高砂市説、そしてこの石海神社がある兵庫県揖保郡太子町になります。
宝暦12年に書かれた地誌「播磨鑑」に、武蔵がこの太子町で生まれたと記されているそうで、さらに「五輪書」に武蔵自ら「生国播磨の武士」と記載していることが根拠となっているようです。
その他にも資料等があったようですが、二度の大火で村の大半が罹災し古文書が消失してしまったとのこと。
すぐ近くには武蔵生家跡として伝えられているところに「産湯乃井戸」が残されていました。
石海神社(せっかいじんじゃ)の創立年月日は不詳。
舎人親王(崇道尽敬皇帝)と皇后を御祭神としてお祀りしています。
舎人親王は『日本書紀』を編纂した方で、天皇にはなっていませんが、子が第47代淳仁天皇になられたことで「崇道尽敬皇帝」の追諡があったそうです。
石海神社の元の正式名は「崇道大明神崇道天王両社」のようです。
またこの地は「宮本」と呼ばれ、当社の「宮もと」からきているそうです。
拝殿にはたくさんの奉納絵馬があり、新しいものから古いものまで見ごたえ十分でした。
鳥居前には「宮本武蔵生誕之地」の碑があります
鳥居とその向こうには神門
神門扉の彫刻
拝殿
拝殿内を見上げると多くの奉納絵馬がありました
本殿
泥棒さん、これを見て心を改めてくれるかな。
七福神像はとても新しかったです
石海神社の摂社のようです
「逆さ椋」
樹齢500年とも言われており、二度の大火で燃え残った部分から少しずつ新しい芽が出て現在の姿になったそうです。
樹齢500年とも言われており、二度の大火で燃え残った部分から少しずつ新しい芽が出て現在の姿になったそうです。
ここが宮本武蔵生家跡にある「産湯乃井戸」
現在は涸れてしまっています。
現在は涸れてしまっています。
すてき
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