しおたはちまんぐう
塩田八幡宮のお参りの記録一覧
三田のお参り、本日最後は塩田八幡宮。
810年ごろには大歳神社として存在していました。その後、石清水八幡宮より勧請し塩田八幡神社と称せられたようです。応仁の乱で焼失するも再興し、三田藩九鬼家から手厚く寄進奉納されていたようです。
鳥居を潜ると長い石段、結構な勾配です。登りきると朱塗りの社殿が見えてきます。豊かな鎮守の森に囲まれてました。斜面に作られている感じで境内は広くはないですが、多くの摂社末社がありました。
御朱印いただきました。
社号標と鳥居。
長い参道を抜けると鳥居と石段が見えてきます。
石段途中にも鳥居。さらに登る。
こちらが社殿です。写真左手に社務所。
社殿右側。
巨大なおみくじ。
武内神社。
左から武内神社、若宮八幡宮、神明社、山ノ神社。
右に稲荷神社、左に高良神社。
剣御前社、奥に水神社。
厳島神社
今年の4月に参拝してから約半年ぶりの参拝。
9月19日、公式にホトカミを始められたとのことで投稿されていたため、再びお参りさせていただこうと思い伺いました。
前回参拝時に、「7月の夏祭万灯祭を見てみたいな」と思っていたのに、気付いたらもうとっくに過ぎてました😅
塩田八幡宮さんは、とにかくまっすぐ伸びた参道とその両脇には広大な田んぼが広がり、参道を歩くだけで清々しい気分になります。
そして階段を上った先に見える社殿は朱色が鮮やかで思わず見惚れてしまいます。
以下、塩田八幡宮HPの御由緒より
『当宮 創始不詳ではあるが 大同年間(810頃)には「大歳神社」と称し 御歳神を奉祀すると古記録に見える
その後 山城国(京都府八幡市)石清水八幡宮より 応神天皇・神功皇后・玉依姫命(比咩大神)の御神霊を勧請合祀され 石清水八幡宮別宮「塩田八幡神社」と称せられた
摂津国塩田庄なるこの地は 鳥羽天皇(1103~56)のころ 后妃女房 美濃局の荘園ともなったが 保元元年(1156)以前には 石清水八幡宮への寄進により 同宮並に宿院極楽寺領荘園となり 神宮寺としての体裁を成した
延元元年(1336)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが 応仁の乱(1467~77)により社殿その他の建造物を焼失
明応8年(1499)に社殿を再興し 享禄元年(1528)には再度石清水八幡宮より御宝体を拝受 奉斎し得た
守護職赤松氏の尊崇は歴代篤く 戦陣に於いては常に当宮を祈願所とし 寺社領のみに留まらず 梵鐘等の寄進も得 更には徳川幕府下 明暦3年(1657)社殿再建時には三田藩主 九鬼隆昌より浄財寄進があり 九鬼家当主代々よりの奉納 寄進が続いたものである
維新回天の業は当宮にも変革をもたらし 従前の神仏習合を改める目的の神仏分離令(1868)により神宮寺が廃される 明治5年(1872)には村社に列し 大正11年(1922)11月郷社に昇格 昭和38年(1963)社名を「塩田八幡宮」と改称して現在に至る』
御朱印
一の鳥居とまっすぐ伸びた参道
一の鳥居近くにはヒガンバナが群生していました
参道横の田んぼですが、前の週の台風の影響でしょうか。
稲がかなり倒れてしまっていました。
二の鳥居
三の鳥居
拝殿
社務所側から見た拝殿と御神木
本殿
御神木
桧と山桃が根元でくっついています
手水
武内神社
若宮八幡神社
神明神社
山ノ神社
と、ここで一匹のヌマガエルが飛び跳ねてきて、私の前でピタリ。
今年はカエルとトンボがよく私の前に来てくれます。
ここからは参道途中の末社です。
高良神社と稲荷神社
剱御前社
石清水祠
水神社
厳島神社
永代墓「みささぎ」
神戸市北区道場町に鎮座する八幡神社です。
歴史も古く、参拝者が絶えることのない神社でした。
社殿の朱色がとても色鮮やかで、平成5年には「神戸建築百選93」に選ばれているそうです。
御祭神
応神天皇 神功皇后 玉依姫命 御歳神
創始不詳とのことですが、大同年間(810年頃)には御歳神を奉仕する「大歳神社」と称していたそうです。
その後、山城国石清水八幡宮より応神天皇、神功皇后、玉依姫命の御神霊を勧請合祀して、石清水八幡宮の別宮として、「塩田八幡神社」と称したとのこと。
延元元年(1336年)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たものの、応仁の乱により社殿その他の建造物を焼失してしまいます。
明応8年(1499年)に社殿を再興、享禄元年(1528年)に再び石清水八幡宮より御宝体を拝受、奉斎し得たとのこと。
御朱印
長い参道が続きます。
この手前に大きな参拝者用駐車場があります。
一の鳥居
7月の「夏祭万灯祭」では、約1400灯の提灯が灯されるそうです。
そのほかに「初詣万灯籠」「厄除万灯籠」なども行われるそうです。
ようやく二の鳥居が見えてきました
二の鳥居
ここからは階段を上ります。
およそ150段あります。
階段途中にある三の鳥居
三の鳥居から先の階段右手には末社がたくさん。
後半に写真を掲載しています。
拝殿
拝殿向かって右前方から
拝殿の木鼻も色鮮やかです
本殿
神楽殿
御神木
左:山桃、右:檜
樹齢500年以上だそうです。
御由緒
月見橋跡
昔、多くの歌人がこの辺りの情景を歌に詠んだそうで、鎌倉幕府第六代将軍である宗尊親王もその一人だそうです。
さらに在原行平(在原業平の兄)もこの月見橋と深い関わりがあるとのこと。
二の鳥居手前に鎮座する厳島神社
厳島神社の由緒
永代墓「みささぎ」
水神社
石清水祠
剱御前社
稲荷神社
高良神社
拝殿東側末社の鳥居
武内神社
若宮八幡神社
神明神社
山ノ神社
御神水
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0