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しかおいじ|真言宗豊山派普光山

鹿追寺の編集履歴
2024年12月07日(土)
北海道 新得駅

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くま
2024年12月07日 16時18分

ご由緒

当山は奥田松次郎氏が一宇を建立したのが始まりである。また同氏は「軍人一宮神社」などを建立し「古義真言宗金毘羅本院」の許可を受けて開教中のところ昭和元年に示寂した。
その後数代を経て昭和11年、菅賢章師が本山より開教師として特派され着任し荒廃しかけた教会の復興と密宗の弘通に力をそそいだが、大東亜戦争の始まった昭和16年に召集され、その間夫人愛子氏が留守を守り、同22年に帰還した。翌23年に教会を現在地に移転し新本堂を建立と同時に「鹿追寺」と寺号公称した。昭和57年開基住職菅賢章師遷化の後、第二世として長男訓章師が就任。平成28年仁木町銀山孝徳寺(第60番札所)より関道俊師が第三世として就任し現在に至る。
当寺境内には三十三観音霊場、お堂には薬師如来、子育て延命地蔵尊、十勝八十八ヶ所霊場第78番札所本尊阿弥陀如来、十勝北斗12支めぐりの戌亥本尊を奉安している。

編集前:当山は奥田松次郎氏が一宇を建立したのが始まりである。また同氏は「軍人一宮神社」などを建立し「古義真言宗金毘羅本院」の許可を受けて開教中のところ昭和元年に示寂した。
その後数代を経て昭和11年、菅賢章師が本山より開教師として特派され着任し荒廃しかけた教会の復興と密宗の弘通に力をそそいだが、大東亜戦争の始まった昭和16年に召集され、その間夫人愛子氏が留守を守り、同22年に帰還した。翌23年に教会を現在地に移転し新本堂を建立と同時に「鹿追寺」と寺号公称した。昭和57年開基住職菅賢章師遷化の後、第二世として長男訓章師が就任。平成28年仁木町銀山孝徳寺(第60番札所)より関道俊師が第三世として就任し現在に至る。
当寺境内には三十三観音霊場、お堂には薬師如来、子育て延命地蔵尊、十勝八十八ヶ所霊場第78番札所本尊阿弥陀如来、十勝北斗12支めぐりの戌亥本尊を奉安している。

電話番号

0156-66-3444

編集前:0156-66-2653

ご祭神/ご本尊

寺院本尊 不動明王
霊場本尊 十一面観世音菩薩

編集前:寺院本尊 不動明王
霊場本尊 十一面観世音菩薩

アクセス

<公共交通機関>
帯広駅から乗車、バス停「トリムセンター前」

<車でのアクセス>
JR新得駅から車で20分
帯広から車で40分

編集前:<公共交通機関>
帯広駅から乗車、バス停「トリムセンター前」

<車でのアクセス>
JR新得駅から車で20分
帯広から車で40分

巡礼

北海道八十八ヶ所霊場第41番札所
十勝八十八ヶ所霊場第七十八番札所
十勝北斗十二支めぐり 戌亥

編集前:北海道八十八ヶ所霊場第41番札所

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