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じゅこうじ|浄土真宗本願寺派青淵山

寿光寺の編集履歴
2024年08月18日(日)
北海道 十勝清水駅

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くま
2024年08月18日 05時47分

ご由緒

寿光寺の開教は、1915年(大正4年)、十勝開墾合資会社(後の十勝開墾株式会社)が熊牛農場内に集会所兼説教所を建て、大分県より石原信亮師が五女たかねを伴い来村し、布教に従事したことから始まります。
1918年(大正7年)、石原信亮師が退任し、富山県下新川郡吉原の浄土真宗本願寺派光明寺より増山白渚師が着任。十勝開墾株式会社3代目農場長 吉田嘉市並びに、宮坂義左松、氷見治三郎の3名が総代となり、浄土真宗本願寺派として開基しました。
1926年(大正15年)、寺院建設の機運が高まり、寺号を「寿光寺」と公称し、その後、渋沢栄一の雅号「青淵」をお寺の山号に戴きました。十勝開墾株式会社より敷地(1.5ヘクタール)及び建築資金と主要材料が寄附されたほか、渋沢栄一ほかの寄附を得て、4代目農場長 中村新作が建設委員長となり、「農場の仏壇はお寺である」の信条をもとに、寺院の建設工事が始まりました。社有林で賄える用材は信徒の労役によって伐採、運搬を成し遂げました。造営は優雅な建造で当時周辺にも名が知られました。
1927年(昭和2年)、本堂新築時に渋沢栄一より「青淵山」と書かれた扁額が贈られました。
1929年(昭和4年)、寺院の落成には河西鉄道が臨時列車を出し、入仏式、慶讃法要が盛大に行われました。開墾会社の寺院に対する理念が、郷愛と先祖を敬うことにあっただけに、信徒以外からも多くの協力が得られました。
1956年(昭和31年)、増山白渚師は66歳で往生され、第二世として増山晃乗師が継職しました。
寺院には、渋沢栄一から贈られた扁額が掲げられているほか、敷地には吉田嘉市の墓碑が建立されています。

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