木舟山 順教寺の日常(202回目)|広島県志和口駅
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方投稿日:2025年12月05日(金) 10時19分26秒
「苦しい経験ばかりで、疲れる」
「どうして私ばかり、と思ってしまう」
「今している事に意味があるのかと、思ってしまうなる」
そんなことを思う日があります。
苦しみは、渦中にいるとただ痛く、先が見えず、
“これ以上は無理だ” と感じてしまうものです。
冬になると、渋柿が干し柿へと姿を変えていきます。
渋柿は生のままではとても食べられないほど渋いのに、
時間と寒さをくぐり抜けると、驚くほど甘くなる。
その甘さは「あとから加わった」ものではなく、
もともと柿の中にあったもの が表に出てきたのです。
仏教には「泥多ければ仏大なり」という言葉があります。
泥が多いほど、大きな蓮が咲くように、苦しみが多いほど、
人の心は深く育つ という教えです。
もし今、皆さんが渋柿のように“渋さ”の只中にいるのだとしても、
その渋さの奥には、まだ見えていない甘さが静かに育っているのかもしれません。
今日は、深く息を吐きながら、
「この経験も、いつか私を甘くする」と
そっとつぶやいてみてください。
その一言が、苦しみを“意味のある時間”へと
ゆっくり変えてくれるはずです。
今日も、良い一日を😌
「どうして私ばかり、と思ってしまう」
「今している事に意味があるのかと、思ってしまうなる」
そんなことを思う日があります。
苦しみは、渦中にいるとただ痛く、先が見えず、
“これ以上は無理だ” と感じてしまうものです。
冬になると、渋柿が干し柿へと姿を変えていきます。
渋柿は生のままではとても食べられないほど渋いのに、
時間と寒さをくぐり抜けると、驚くほど甘くなる。
その甘さは「あとから加わった」ものではなく、
もともと柿の中にあったもの が表に出てきたのです。
仏教には「泥多ければ仏大なり」という言葉があります。
泥が多いほど、大きな蓮が咲くように、苦しみが多いほど、
人の心は深く育つ という教えです。
もし今、皆さんが渋柿のように“渋さ”の只中にいるのだとしても、
その渋さの奥には、まだ見えていない甘さが静かに育っているのかもしれません。
今日は、深く息を吐きながら、
「この経験も、いつか私を甘くする」と
そっとつぶやいてみてください。
その一言が、苦しみを“意味のある時間”へと
ゆっくり変えてくれるはずです。
今日も、良い一日を😌
すてき
投稿者のプロフィール

順教寺 熊谷兼高 …204投稿
はじめまして。広島市にある浄土真宗本願寺派・順教寺の副住職を務めています。 仏教というと堅く感じる方も多いかもしれませんが、実は日常の悩みや喜びと深くつながっています。 そんな仏教の教えを、...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。







