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広布山 本覚寺の日常(159回目)広島県十日市町駅

本覚寺の水子供養について。

投稿日:2024年10月06日(日)
『八木三石送給候。今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉て、南無妙法蓮華経と只一遍唱まいらせ候畢。いとをしみの御子を、霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがため也。抑因果のことはりは華と果との如し。千里の野の枯たる草に、螢火の如なる火を一つ付ぬれば、須臾に一草二草十百千万草につきわたりてもゆれば、十町二十町の草木一時にやけつきぬ。龍は一・の水を手に入て天に昇ぬれば、三千世界に雨をふらし候。小善なれども、法華経に供養しまいらせ給ぬれば功徳此の如し。(中略)御渡り候し事、おぼろげの縁にはあらず。宿世の父母歟、昔の兄弟にておはしける故に思付せ給歟。又過去に法華経の縁深して、今度仏にならせ給べきたねの熟せるかの故に、在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思出させ給けるやらん。其上遠江国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり。宿々のいぶせさ、嶺に昇れば日月をいたゞき、谷へ下れば穴へ入かと覚ゆ。河の水は矢を射るが如く早し。大石ながれて人馬むかひ難し。船あやうくして紙を水にひたせるが如し。男は山かつ、女は山母の如し。道は縄の如くほそく、木は草の如くしげし。かゝる所へ尋入せ給て候事、何なる宿習なるらん。釈迦仏は御手を引、帝釈は馬となり、梵王は身に随ひ、日月は眼となりかはらせ給て入せ給けるにや。ありがたしありがたし』

上記の日蓮聖人の御遺文は「新池殿御消息」にて、弘安二(1279)年に、亡くなった最愛の我が子の追善供養のために遠江国より参拝した新池殿という武士に対して送られた書状です。残念ながら真蹟は残っておりませんが、当時もお米3石(450㎏)をお布施として追善供養を日蓮聖人にお願いされていた様子がよく分かる内容です。

最近お米の価格が高騰しておりますが、仮に10キロ5,000円で計算しても225,000円ですから、もし「送料」を含めるとしたら新池殿はそれ以上のお布施をされていることになります。450キロのお米は日蓮聖人とその門弟が有難く召し上がられたことでしょう。

今では交通手段が発達しており、静岡県から身延山までは車で3時間もかからずに到着出来ますが、鎌倉時代は馬か徒歩で往復するしかありませんでした。亡き我が子の追善供養のためにそれだけの距離を往復した信仰心というのは本当に尊いことですね。

本覚寺の水子供養もこうした例に習って至心にお勤めしております。

すてき

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