曹洞宗
雙林寺のお参りの記録一覧
雙林寺の七不思議、というものがありまして、これは食いついた!おどろおどろしい七不思議を是非知りたい!
そんな思いでいると、境内も怪しく見えてくる。
しまった!了道尊が後ろにあり、天狗像もあったらしい、、見逃したぁ〰︎
俳人白井鳥酔の分骨塔、句碑があります。
七不思議の紹介、なんだろね、、
よっしゃ、探してやる!
駐車場まえの古い門は開いていない。
こちらから入れます。
朱の鐘楼が見えます。
振り向くと片側だけの杉木立が綺麗です。
緑の中で朱の鐘楼が目立っています。
忠度桜
一の谷で討死した平忠度が夢に立ち、辞世の句の下の句を詠む前に討たれたので、完成して欲しいと禅僧に頼んだ。下の句の続きを作ったところ、忠度は喜んで桜の枝を差した、それが大きくなったという
七不思議ひとつみっけ!
柊と木犀がくっ付いている、これは違う
山門
大きくて歴史ある門です。
手のない小僧(山門の小僧と総門のツル)
七不思議2つめみっけ!確かに手が無い!
仁王様もおどろおどろしい、、
これは駐車場から見た、入れない門ですね。
あっ脚の無い鶴だ!
七不思議2つめに入ります。(山門の小僧と総門のツル)
本堂
これは龍神水では、、ないですね
底なし井戸
七不思議3つめ、みっけ!
これ以上、怖くて覗けませんでした。
井戸に顔が映らないと即刻タヒぬんだよ!
こんなに綱が張ってあるんだから映るわけないじゃん!
タヒ亡フラグ🚩確定
今回はここまで、時間が、、
でもすごく楽しかったぁ(^^)
文安四年(1447)白井城主長尾景仲が剃髪し、入道昌賢と号し、その三年後の宝徳二年(1450)に開基となり月江正文禅師(本寺、小田原大雄山最乗寺第七世)を開山として招き以後、法灯綿々として輝き、現住職は五十一代目である。宗旨曹洞宗(禅宗)であって、創建当時は、月江禅師を慕って全国の修行僧が雲の如く集まり、「常に二千人を下らず」中に四天王・十大老僧がいて禅師を補佐したと古記録に記されている。「雙林の水を呑まざる者は、禅僧にあらず」とまで言われた。太田道灌が江戸城を築いてより、徳川幕府の終わりまで深い関係を有し、常に雙林寺から住職や雲水が上がって将軍の交替時には、有名な「城固めの法問」を行っていた。
また、慶長年間に入って僧録職に任ぜられ、上野、信濃、越後佐渡の四ヶ国の総取締りとなったので、修行寺であると同時に役所寺であった。その役所を知客寮と呼んでいた。
伽藍は禅寺七堂伽藍の形を備え、その規模の雄大無比なることは関東にその類を見ず、老杉うつ然として、参拝する者をして気澄み心落ちつかしむといわれ、直末寺は四十八ヶ寺を数え
全国に散在する門葉は、二千ヶ寺を超えている。長尾景仲の娘は太田道灌に嫁いでおり、景仲も関東の案者と呼ばれる程の知恵者だったそうです。
立派な山門です。永平寺の山門の建て替えの時移築する話があったとか
最近補修したそうです。
大きくておさまりきれない。
奥に道了尊があります。
定番の天狗様です。
台風だったので霞んでますがきっと見晴らしが良いはず
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