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神楽寺ではいただけません
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じんらくじ|天台宗八幡山

神楽寺
群馬県 北藤岡駅

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くし
くし
2023年05月12日(金)
1542投稿

1000件目の軛から逃れ、さぁこれで好きな所に行ける☆と地図を再検討。
当初の予定ではこの前行った首塚八幡宮と対になる胴塚稲荷を探して、さらに玉村の道の駅辺りで時間を潰して、案内板に書かれてるとおり丑三つ時に首塚と胴塚を拝んでみるというスピリチュアル実験を計画してたのですがw
考えてみたら「誰にも知られず参拝する」という条件付きなので、事後でも投稿したら霊験が無効になるのでわ?と考えて断念(違w)

時間的にもまだ受印可能な4時前だったので無人寺社に行くのは早い!ということで、前回時間がなくて寄れなかった玉村八幡宮隣りの神楽寺に行ってみることにしました。一つ前で布袋(寅泰)尊で悟りを得たばかりなので寺名にも因縁を感じるしw

着いたのが4時ギリギリで、しかもちょうど何かの業者か役所関係と思われる人が調査に来てて寺務所前で住職御夫妻と話し込んでたのでやや躊躇したのですか、御朱印をお願いしたところ快く対応してくださいました。

御朱印代は「お気持ちで」・・・うっ!? しまった!Σ(>Д<)
というのも、一つ前の専福寺で100円が尽きてしまったのですが、そちらもお気持ちだったので、お言葉に甘えありったけの小銭かき集めて200円分くらいを賽銭箱に納めました。
そのためここに来た時は500円玉しかなかく、まぁ大抵お寺は300円だろうと踏んでたのですが、こちらもまさかのお気持ち・・・
まぁ、俺のお気持ちは300円なので釣りくれ!щ(゚д゚щ)とロックなことも言えんので、ここはもともと御朱印代は500円だったのだと思い込んでそのまま納めてきましたがw
・・・しかしやっぱりちょっと釈然としない(^^;  てか仏様よ、どこの浄土から見てるか知らんがシッカリ債権回収しやがるなwww

めくるめく光と影に 揺れる伽藍はPleasure dome~♪
如意を手に和尚が叫ぶ 「おまえの出番だ It's 焼香!」

狛犬(ライオン)は鳥居をくぐり~♪ 誇示らしく月に吠える~♪
空中に踊る切り絵~♪ 買えないおまえは通常印~♪

巡礼は~いつも~♪ 危険なCIRCUSさ~♪
地獄の手前で~♪ 夢を抱け~♪
Fly High~♪ Fly High~♪ 極楽に届け~♪
祈りの破魔矢(ダーツ)~♪

https://youtu.be/4pEj_f4A9O4
・・・布袋尊カッコ良すぎ(*´Д`) (江頭Ver貼ろうか迷いましたが本家でw)

神楽寺の御朱印

御朱印は御本尊の阿弥陀如来
直書きでいただけました

神楽寺(群馬県)

入り口

神楽寺(群馬県)

観音様とお地蔵様が並んでます

神楽寺(群馬県)

無縁さん

神楽寺(群馬県)

山門

神楽寺(群馬県)
神楽寺(群馬県)

境内右側に鐘楼

神楽寺(群馬県)

隣にお堂

神楽寺(群馬県)

お不動様でした
本尊は阿弥陀如来ですが、天台宗なのでさもありなん

神楽寺(群馬県)

羅漢像
一体だけというのもちょっと珍しい

神楽寺(群馬県)

観音様

神楽寺(群馬県)

本堂
やはり隣が玉村八幡宮でもと別当関係だったらしく、山号は八幡山

神楽寺(群馬県)

地味印ですが、何気に縁日だけ受印できる元三大師の限定印もありました
墨書の元三大師の縁日3日ではなく、印の方の不動明王の縁日28日に設定されてる様子

神楽寺の授与品その他

お守りも若干あり
御朱印代がお気持ちなら、どうせならもう少し足してお守りも授かっちゃおうと思ったですが、本文に書いたように業者と御住職が話し込んでて忙しそうだったので言い出せず(^^;

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名称神楽寺
読み方じんらくじ
御朱印あり

限定御朱印あり
電話番号0270-65-2627
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号八幡山
院号遍照院
宗旨・宗派天台宗
創建時代不詳
本堂入母屋造り
ご由緒

神楽寺の創建は不詳ながら古くから神仏混合していたようで、釈迦如来の他に八幡大菩薩を祀り修験僧が出入りする寺院であった。

源頼朝の被官 安達盛長により鎌倉鶴岡八幡宮を角渕に勧請。
応永十八年(1411)関東管領足利満家が角渕八幡宮を修復。
永正四年(1507)、白井城主長尾憲景の家臣 吉里対馬入道が角渕八幡宮を再度修復するとともに、当寺も拡張修復して一寺を建立、八幡宮別当として八幡山遍照院神楽寺と号す。

慶長十五年(1610)関東郡代伊奈備前守忠次により、玉村新田開発の成就祈願成功の約として、玉村上下新田境に八幡宮を勧請修復造営が営まれた。
寛永のころ(1630ごろ)東叡山寛永寺の末寺に組み込まれる。
慶安二年(1649)三代将軍家光の朱印を押印した御朱印状三十石を賜った。
なおこの三年後の承応元年(1652)には茂木郷の田口氏(神奈川合戦で活躍)の子孫 所左衛門が一対の灯籠を八幡社前に寄進。玉村町最古の石灯籠である。
以下将軍代替わりごとに、貞享二年(1685、五代綱吉)、享保三年(1718、八代吉宗)、延享四年(1747、九代家重)、宝暦十二年(1762、十代家治)、天明八 年(1788、十一代家斎)、 天保十年(1839、十二代家慶)、安政二年(1855、十三代家定)万延元年(1860、十四代家茂)と9枚の朱印状を残している。

安政六年(1859)に本堂は火災焼失したので、境内万日堂の本尊阿弥陀如来を本堂に移して本堂本尊とした。
明治元年(1868)神仏分離令で玉村八幡宮と分かれる。
昭和九年(1934)本堂を新築して万日堂を合祀し(旧幕時代の万日堂は八幡宮境内にあった)、そしてこの万日堂は幕末玉村宿寄場組合の寄合場としてしばしば使用され、三右衛門日記』をものした大惣代渡辺三右衛門、宿内の問屋井田金七郎らが談合した所であった。
昭和四十九年(1974)に鐘楼を改築。
不動堂は文政甲申(七年)勧請、井田家寄進、昭和九年修復。
薬師堂は焼失後昭和十六年(1941)七丁目有志寄進、昆沙門堂は寛政二年(1790)九丁目へ移し厄よけとした。

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