ささもりいなりじんじゃ
笹森稲荷神社のお参りの記録一覧
2回目のお詣り。
参集殿が改修されたという記事を実家で見かけて、もし、見られたらとお詣り。
普段は宮司さまがいないことは知っていたのですがやっぱり誰もおらず見ることはできず。
また、御朱印を不定期でされているとの記事があったのですが電話でお伺いしたところ、御朱印されていないとのことでした。
祭祀の時だけあるのかもしれませんね。
初午の頃に行けば良いかも知れません。
神社の規模も大きく、天井画など見応えある神社ですので、御朱印がないのが残念です。
今回の行き先でもなかなか良さそうな稲荷社に当たらず(無人の小社なら腐るほどあるんだけどねぇ( ´・ω・`)
どこか一社くらいは良質な稲荷成分を摂取できる所はないのかと探したところこちらの稲荷社を発見♪
富岡・甘楽地区では最大級の古墳上にあり、しかも織田家との関わりもある(信長より数代後だけど(^^;)
さらに春季例祭日にはなんと北関東一といわれる露天市が立つしい!Σ( ̄□ ̄;)
・・・しかし、こんな崇敬篤そうな稲荷社でも普段は無人社とのこと( ´・ω・`)
春季例祭についても稲荷社ということで3月の初午頃に設定されており、すでに時期は逸してしまってたのですが、そんな高名なお稲荷さんなら参拝だけでもしてみたいと足を向けました。
むろん純粋な信仰心だけでなくあわよくば書き置きがないかとの期待もありw ・・・そんな気の利いたものは無かったけどな(ノ∀`)
ここも比較的大きいので見処たくさん♪
というかやはり古墳上にあるせいか、ちょっとミステリアスなお稲荷さんでした。
御神体は古墳の石室内に納められてるそうです。 この石室の入口は跪かないと入れそうにないくらい小さいのですが、長さは16m近くあり、玄室はなんと高さ・幅ともに2.5mもあるらしい!?(゜゜;)
ご覧のように古墳の両側に入口があって羨道は後円部を南北に貫通してるそうです。
そのため被葬者も無名の人物ではなく、彦狭島王や射狭君など日本書紀や新撰姓氏録に出てくる人物の可能性があるとのこと!Σ( ̄□ ̄;)
ここも埼玉古墳群と同じく、記紀神話と歴史のミッシングリンクを繋ぐ、神社好きと古代史好き両方拗らせてる人間にはたまらない場所でした(*´Д`)
来年は御鎮座1200年でもあるそうなので、例祭日狙ってぜひとも再訪したい!
ただこの時期、ウチの産土神や他のお稲荷さんの初午祭と大いに被りそうw
来年は産土神裏切ってこっちに行こうか・・・うーん、どうしよ(^^;
100m近くある前方後円墳とその周辺が鎮守の森で、境内はかなり広いです
このような立派な参集殿もありますが無人社 はぁ・・・(-ω-;)
まぁ、なまじ大きいが故に管理が行き詰まってしまった神社というのも結構あるからなぁ・・・
参集殿に貼り紙が見えたので、すわ!御朱印出してくれる宮司宅か氏子総代への連絡先か?(゜∀゜)と色めき立ったのですが・・・寄進受付の連絡先だった orz
ゴメン、常時受印できるくらい寺社には栄えてほしいがそこまで出せる金はないw
気を取り直してw南側の鳥居から入り直します
この神社、何方向かに鳥居があるので、どれが一の鳥居かは判断できず
参集殿裏に宮司宅と思われる古民家がありましたが、どうも現在は無住っぽいな( ´・ω・`)
寄進受付の連絡先も宮司ではなく奉讃会のようでした
神社自体は立派でこのような大きな楼門もあり
ん?楼門上になにかある・・・(゜゜)
お狐様が見下ろしてました!Σ(*゚Д゚*)
雨のせいかお狐様の霊力なのか、ここ何度やっても白飛びしてしまって上手く写らず
楼門下には迫力ある龍が描かれてる!Σ( ̄□ ̄;)
龍の隣にはニワトリ・・・じゃなくて鳳凰図w
楼門に上がれる!?と思って一瞬ワクテカしましたが、やっぱり上は閉じられてた(^^;
楼門の先の鳥居
ここで一旦右に反れて宮司宅の裏に行きます
宮司宅の裏には鳥居に守られた穴が・・・
これが祭礼日にだけ開かれるという、御神体の納められた古墳の石室らしい(゜゜;)
石室内部は暗くて奥は全く見えず
ちなみに跪かないと入れないくらい小さいです(・・;)
正面に戻って拝殿を参拝
拝殿前に紙があって、御札の無人領布ありか☆(゜∀゜)と一瞬喜んだのですが・・・札は札でも誰かが返した古札のようだった orz
ふと振り返るとこんな貼り紙が
こんなのに上る輩がいるのか(^^; まぁ子供ならいたずらで登るかもしれんな
後ろ姿ですが、ここからは楼門上のお狐様がよく見えます
社殿の左側に神楽殿と御輿蔵
寄進を募ってたのはこのためか!
来年の例祭日狙ってまた来てみようかな?
・・・例年よりメッチャ混みそうだが(^^;
白狐社と思われます
圧巻のお狐様(*´Д`)
くぅ~!御札授かりたかった(>_<)
白狐社の後ろが古墳の前方部だそうで、墳丘上にも石祠がいくつか
雨で汚れそうだったので上には登らず遥拝のみ
この笹森古墳は東西方向に向いていて、一つ前の小舟神社と同じく妙義山or荒船山に意識を向けて作られてるように感じます
北側が観音山で隔てられてるせいかもしれませんが、この辺りでは榛名山は信仰対象としてさほど重視されてないように感じるのも印象的(・・;)
榛名神社も祠レベルのものが一つしか見つからなかった
左から見た本殿
社殿右側でまず目を引いたのが、この神名の刻まれた五角柱
こちらの面は大己貴命と少彦名命
反対側は天照大神と倉稲魂命
豊受大神ではなく倉稲魂命となってますが、おそらくこれは伊勢と出雲、天津神と国津神の代表コンビが対になってると思われます
もう一面は・・・は、埴安媛命!?( ゚д゚)ポカーン
主神クラスの神の中になんで土の女神が??
この面が北を向いてるのでもしかして榛名山を指してて、他の面も刻まれてる神を祀った上州の有名神社を指してるのではないかと考えましたが、榛名以外の方面は該当するような神社が見当たらず・・・
少彦名の小祝神社とかほぼ反対方向だし・・・うーん(´-ω-`)?
白狐建備記念とあり
古墳の後円部にも境内社がありますが、なぜかここは本殿付近から直接繋がっておらず、一度古墳を下りないと行けない様子
後円部を取り巻くような道を通って下ります
途中にあったもと授与所か茶店と思われる建物
下から撮影
古墳の説明板を読むの忘れた(>_<)
北側にも参道と鳥居があります
この数百m先の国道254沿いに大鳥居があるので、神社自体は南向きですが、表参道はこちらなのかもしれない
古墳の北東付近にある古井戸
その後ろに手水舎
水は流れていませんがわりと新しめな様子
古墳の北東付近からいくつかの脇参道が延びてて、各摂社に繋がってます
まず一番下にある参道から
突き当たりに割れた卵のような赤文字の石碑
何かの歌碑のようですがよくわからん(^^;
その横にある祭神不明の摂社
ここにも石室の入口あり
後ろの石神は3つとも道祖神
一段高いところにある摂社
大黒、恵比寿、布袋、毘沙門天の置物あり
この神社の祭神の一柱は市杵島姫命なので厳島神社か弁天社かもしれません
もう一段高いところの摂社
こちらは大きな聖徳太子の石神
そして後円部頂上の摂社に通じる参道
金刀比羅宮でした
雨の日に上るにはやや躊躇する参道ですが、看板も出てる特別な摂社っぽいので行ってみます(^^;
到着
それほど上るのは困難ではなかったですが、泥道なのでやはり雨の日はちょっと注意
中には金幣と普通の御幣が並べて祀られてました
6世紀後半に造られた甘楽、冨岡地区では最大規模の前方後円墳の上にあります。草創は平安時代、825年といわれています。
江戸時代、織田信長の次男、織田信雄が当地を治めるようになり、やがて小幡藩を立藩して鎮守様とし篤く信仰したそうです。
二代織田信良が藩政と領民が一体となった藩を築くことを祈願し奉納したのが始まりの太々神楽の日は賑わうようです。
朱の鳥居が立派です。
駐車場は右手にあります。
鳥居を潜ると開けた場所の奥に階段と、山門が見えました。が、これは割拝殿だそうです。
山門かと思いましたが、、初めて知りました。
割拝殿の二階から狐がこちらを見てます(@_@)
キツネ!
割拝殿の天井画
手前は龍
奥は孔雀?
割拝殿を振り返ると二階のキツネが仲良く寄り添っているようで、可愛らしかったです。
拝殿
なんだろう、、見慣れない拝殿の型なんだけど、嫌じゃない。
キツネの彫り物にも違和感なし!
いいね!をつけたい。
ドキッ(・_・;
見られてた!
神楽殿
そして、本殿。
塗り替えられていて、彩色鮮やかで彫刻も見応えあり!
そして、、あった!裏神様
笹森古墳
事前連絡すると、中の石室にも入れるそうです。
マスク姿のキツネ
ツツジも咲いていました。
ひと気がなく、ちょっと荒れている感じでしたが、お参りしてみると、なんだか、温かい気持ちになりました。なんだろう、、この神社、好き。
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