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楽しみ方辛科神社のお参りの記録一覧

『上野国神名帳』にて多胡郡鎮座地の「従二位 辛科明神」として記載のある古社です。社名の「辛=韓」つまり朝鮮半島系の人たちを指し、当社が渡来人系の民族たちによって氏神・鎮守神として創建されたと考察されています。要するに…カラシ菜とは関係がないということです。

《鳥居と社号碑》
多胡郡総鎮守とあります。多胡郡内にあった韓級郷が社名の由来です。

《手水舎》
蛇口式です。洗ひつるここも…(略)

《由緒書き》
こちらにも御筒粥神事によって一年の豊凶作を占っています。

《随身門》

《拝殿》🙏
こちらには神宝として懸仏が奉納されているように、かつては神仏習合の色濃い神社であったようです。その由縁か、こちらの氏子たちが朝廷にとっては大きな一族ではなかったためか『延喜式』神名帳には記載されていませんが、『上野国神名帳』には記載されているようにこちらの国司及び現地では有力な神社とされていたことが窺えます。

《授与所》
鳥居横には宮司さん宅兼社務所があります。

《由緒書きの扁額》

《本殿》
由来元はなんでしょうか…

《多胡碑のレプリカ》
👁チェックポイント‼️
辛科神社及び韓級郷は多胡郡が設置されたのを記念として作られた「多胡碑」に記されており、韓級郷が渡来人系の民族が居住していた考察から、日本における他国の民族との交流を記した"漢文"表記の貴重な史料として多胡碑は国の特別史跡に指定されています。またこの他にも山ノ上碑・金井沢碑と共に「上野三碑」としてまとめられています。

《合祀殿》

(2024年7月の参拝です)
辛科神社に参拝し御朱印を頂きました。
ご丁寧な対応ありがとうございます。
高崎市吉井町神保に鎮座します。
廻りは田んぼですがここだけ杜になっています。
随神門は3間1戸、側面2間の八脚門です。
随身門には金属製の狛犬?獅子?狼?が安置されていてこの形は珍しかったです。
ご祭神は速須佐之男命・五十猛命です。
拝殿は正面三間、側面二間、入母屋造平入向拝一間、銅板葺の建物です。
創建は大宝年間の創建とされ、
古い地名が韓科郷や甘楽(韓・伽羅)郡など朝鮮半島を彷彿させることからも
当時の多胡郡の総鎮守として帰化人に崇敬されたとみられています。
もうちょっと調べてみたい神社です。
本殿は一間社流造銅板葺の建物で寛文元年に建てられたといわれています。
多胡碑のレプリカがありました。
#辛科神社
#高崎市
#群馬県
#御朱印

御朱印

鳥居

由緒案内板

随身門

随身門の金属製の狛犬?獅子?狼?

手水舎

神楽殿

狛犬

拝殿

拝殿の扁額

本殿

相殿

多胡碑のレプリカ

奈良時代、この地は辛科郷と言われていて、大宝年間(701〜703)に大陸から渡来して来た人々により創建された。
多胡郡の総鎮守になります。
駐車場らしき場所はなく、多分ここかな?と思われる広場に駐車しましたが、途中の道は神社の敷地になっているので自ずと鳥居の中に入っていました。
木立から見える山門は重厚さがあります。

一旦鳥居の外に出ます。
駐車スペースは右手にあります。

由緒書きは新しく読みやすい。

石灯籠の足がくるっとなっている。

山門

両側の狛犬は石ではなく、金属製?
銅ではなく、真鍮?ステンレス?鉄?😆バカだからわかんないやぁ
正面、色がついているのか、宝石が埋められているのか、、わかんないや(^_-)
調べたら、青銅製だそうです。

横からの姿
上を向いて堂々としている。
そして、ロボットのようでツノもある。

門内の奉納絵

拝殿



本殿の彫刻

薄っすら色がついていたのが、わかります。


市の文化財です。

神楽殿

漢字ばかりの由緒書きがあります。

境内社


新しい由緒書きもまたあります。

日本三大古碑のひとつ、多胡碑のレプリカ。

書き置きの御朱印には多胡碑のレプリカの印が押してある。実はそれを所望したかったが、優しそうな奥様が直書きしてくれたので、レプリカの印はない、、まぁ、いい。ありがとうございました。
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