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2026年05月15日(金) 05時13分 byくし

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名前
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神社(舞木城址の小祠)
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城下稲荷神社(舞木城址)
ふりがな
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じんじゃ
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じょうかいなりじんじゃ
ご由緒
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資料が見つからず詳細不明。
藤原秀郷公の生誕地と伝わる舞木城跡の横に建つ木造の小祠。
屋敷神のようにも見えるが朱塗りの鳥居付き。
なぜか神社ではなく、横の資材置場のような所の入り口に大きめの狛犬も一対ある。
編集後
藤原秀郷公の生誕地と伝わる舞木城跡の横に建つ小さな稲荷神社。
「上野国神社明細帳」に以下の記載があるという。
群馬縣上野國邑樂郡舞木村字城下 無格社 稲荷神社
勧請された年は不明であるが、当社の稲荷神社はかつて舞木宮内亟(まいぎ くないじょう)の城跡に鎮座していたため、今でもこの社を「城下稲荷神社」と呼んでいる。なお、当時の溝(堀)の跡が今も残っている。
(AIにより現代訳)
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【舞木城跡】
舞木城は、面積およそ三ヘクタール、土塁と溝渠をめぐらせた平城で、藤原秀郷が承平年間(九三二〜九三五)に築城したと伝えられ、その後享禄年間(一五二八〜一五三三)まで秀郷の子孫が居城していたという。  
また館林盛衰記には、享禄の頃 赤井照光が大袋城(現在の館林市羽附)から舞木城へ年始の道すがら子狐を助け、その狐の導きによって館林城(尾城)を築いたと記され、舞木と館林とのつながりを浮き彫りにしている。  
この地は明治四十二年に小学校の敷地となり、昭和四十四年には、小学校の移転により「たわら住宅団地」が造成され現在に至っている。  
(案内板より)
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※生誕地だとすると、築城年は上記より遡ることになる。
ご祭神/ご本尊
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《主》不明
編集後
《主》稲荷神
見所
編集前
藤原秀郷の生誕地と伝わる舞木城跡横に建つ小祠
編集後
藤原秀郷の生誕地と伝わる舞木城跡の横に建つ小さな稲荷神社