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2026年03月26日(木) 03時31分 byくし
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泉福寺
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新田義貞の家臣 細谷右馬助秀国による開基と伝わる。 通説では、細谷秀国は、新田義貞が越前国藤島で討ち死にしたのち行方不明になったとされているが、当地の伝わる伝承では、若狭湾を船で渡り藤島を脱出、丹後国与謝郡府中に落ち延びたと伝わる。 その後、密かに故郷の上野国邑楽郡佐貫荘に帰り、出家し入道弘林と称して、丹後一宮の元伊勢籠神社から持ちかえった神霊を奉じ泉福寺を建て、新田一門を始めとする戦乱で散っていた者たちの菩提を弔いながら生涯を終えたという。 その後、泉福寺は戦国時代に兵火に掛かるも、寛永二年(1625)に再興。 その後、赤岩村(千代田町)の光恩寺の末寺となるも明治維新で廃寺。しかし堂宇は残り、明治29年から周辺各村の坪谷・水立・大黒の共有となる。 ところが昭和41年2月11日、寺の留守番の不注意で火災となり、本尊と仏像類は堂宇とともに焼失。この時に古文書なども失われてしまう。 ―――――――――――――― 【両野三十三観音霊場 第七番】 霊場本尊は、院号の元となった聖観世音菩薩。 寺の200mほど東にあった墓地の観音堂に安置されていた(このため昭和42年の焼失を免れる) 明治9年に観音堂が廃され、現在は細谷氏子孫の管理となっているが、観音像は露坐で墓地に安置されている。 納経所は西北約1kmにある正泉寺。 ただしネット上では受印情報が見つからず、古い霊場のため現在でも御朱印を出してもらえるかは未確認。
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新田義貞家臣 細谷右馬助秀国が建てた泉福寺跡 籠宮稲荷神社の元別当寺 現在は墓地と石仏などの痕跡を残すのみだが、両野三十三観音の霊場となっているため登録した
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籠宮山
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観音院
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正平二年(1342年)
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細谷右馬助秀国
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法印秀栄
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寛永二年(1625年)
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両野三十三観音霊場 第七番